日本人指導者が韓国で痛感「本当にすごい」 “日韓の差”を指摘「頭を悩ませている」

大田ハナシチズンで戦術コーチを務める吉田達磨氏
7月15日に行われたE-1選手権・日韓戦(龍仁)。ご存知の通り、日本代表はジャーメイン良(広島)が奪った虎の子の1点を守り切り、1-0で勝利。E-1連覇と日韓戦3連勝を挙げた。
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この試合には、18歳の佐藤龍之介(岡山)も出場。森保一監督体制の日本代表では遅れがちだった若い世代の底上げが多少なりとも進んだ印象を残した。また、J3から這い上がってきた安藤智哉(福岡)のような遅咲きの選手も台頭。日本の幅広い選手育成の成果が出たといっていい。
韓国代表のホン・ミョンボ監督も「1990年代以降、日本は一貫した育成を意識してきたが、我々は勝敗にとらわれてきた節がある。メンタリティを変えていかないといけない」と発言。韓国サッカー界の課題を指摘した。それは、2024年7月からKリーグ1部・大田ハナシチズンで戦術コーチを務める吉田達磨氏も実感するところだという。
「韓国に来て、日本の育成は本当にすごいんだなと改めて痛感しています。僕も柏レイソルで長年、アカデミーに携わってきましたけど、日本人は『こういうシステムでやります』と日本サッカー協会(JFA)やJリーグが決めたら、みんな迷うことなく突き進んでいく。全国各地への普及率、浸透度も非常に高いですよね。
それをJリーグが発足した1993年以降、30年以上も続けているのだから、日本人選手のレベルが上がるのもよく理解できる。川淵三郎さん(JFA相談役)の号令の下、長い歴史をつなげてきたことの意味を海外から客観視できたのは、自分にとっても大きな収穫でした」と彼はしみじみと語る。
韓国は高校・大学でエリートを養成する仕組みが長年、続いてきた
韓国の場合、選手育成は特定の高校・大学でエリートを養成する仕組みが長年、続いてきた。その後、Kリーグのアカデミーができ、一部のプライベートクラブやテクニック塾も生まれたようだが、日本のように町クラブが数えきれないほどあるわけではない。
ユース・ジュニアユース世代を見ても、日本はJクラブでプレーし続けて、トップに昇格する佐藤龍之介のような選手がいる一方で、町クラブから高体連、大学を経てプロになったジャーメインのような選手もいて、育成過程は多種多様だ。しかし、韓国の場合は特定の高校・大学からしかプロになれない仕組みが根強く残っているのだ。
ベルマーレ平塚(湘南)や柏でプレーし、日本人フィジカルコーチの池田誠剛氏(浦和ハイパフォーマンスコーディネーター)と長く仕事をしたホン・ミョンボ監督は日本の実情を誰よりもよく理解している。だからこそ、日韓戦敗戦後にそういった発言をしたのだろう。
加えて韓国には日本以上の少子化、学歴社会という問題がある。教育費が非常に高くて、「サッカーやスポーツをするよりも勉強」という意識が高いとも言われていて、それも韓国サッカー界に暗い影を落としているのかもしれない。
「社会情勢や環境面の詳しいところは僕自身、まだ把握しきれていないのですが、育成のところをどうしていくかというのは関係者も頭を悩ませていると思います。育成のところに注力しないと、大きな花も開かない。ファン・ソンホン監督ともそういう話はしています」と吉田氏は言う。
彼のような“日本人戦術コーチ”を大田が招聘したのも、「少しでも日本サッカーのエッセンスを取り入れて、レベルアップを図りたい」という意向が、指揮官やクラブ全体にあったからだろう。
日本人コーチを続々招聘
それから1年が経過し、今度は昨季まで柏で監督を務めていた井原正巳氏もKリーグ2部・水原三星ブルーウイングスのコーチに就任した。指揮を執るビョン・ソンファン監督は日本でのプレー経験はないものの、U-17韓国代表を務めていた人物。日本の若い世代の技術レベルや戦術理解度の高さを認め、日本人指導者を呼ぶことに合意したのだろう。
そうやって日本人の監督経験者が韓国に行って育成含めてテコ入れを図るという流れが加速するのか……。それは吉田氏、井原氏の活躍次第ということになりそうだ。
「自分がテクニカルな側面の指導者として初めて韓国に来たことの意味というのは、僕自身、よく分かっています。『韓国、アジアサッカー界にとって、日本人を呼べば、選手が確実にレベルアップする』という評価を得ないといけない。シンガポールの時もそういう自覚はありましたけど、韓国ではより一層、そうですし、いい仕事をしないといけない。井原さんはビッグネームですし、プレッシャーもかかると思いますけど、僕らが門戸を開いていって、日韓の交流を加速していければ理想的。1年後、2年後に仲間が増えるように仕向けていかないといけないと思います」と吉田氏は自身のタスクを確実に遂行していく構えだ。
「日本の選手たちに目を向けても、カズさん(三浦知良=JFL鈴鹿)、中田ヒデ(英寿)、名波さん(浩=日本代表コーチ)らが欧州に出ていった90年代~2000年代初頭にかけてはまだまだそこまで認められていなかったと思います。そこから小野伸二(Jリーグ特任理事)、俊輔(中村=横浜FCコーチ)、本田(圭佑)、長友(佑都=FC東京)といった選手たちが実績を作り、今のような大量海外進出時代になった。
そういった前例を見ても、先駆者の行動や結果には大きな責任があります。まずは大田の目の前の戦いに集中することが重要ですけど、韓国サッカー界にいい影響をもたらしていきたいですね」
トップから少年まで幅広いカテゴリーを見てきた吉田氏にできることは少なくない。その経験を遺憾なく発揮し、新たな足跡を残すことを強く願いたいものである。(第4回に続く)
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。




















