森保一監督、釜本邦茂さん逝去に「本当に寂しい気持ち」 歴代最多得点のレジェンドを追悼

広島市内のイベントに出席後、取材に対応
日本代表の森保一監督は8月10日、同日に逝去された釜本邦茂さんについて「本当に寂しい気持ち」。広島市内で行われた株式会社エディオンの「ふれあいフェスタ」トークイベントに出席。かつて日本代表として活躍し、日本サッカー協会(JFA)の副会長も務めた釜本さんの訃報に際し、コメントした。
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「直接同じチームのなかで、お仕事をさせていただいたことはないんですけど、日本のレジェンド中のレジェンドの釜本さんが亡くなったということを知って、もう本当に悲しい思いでいます。我々と活動の年代は違いますけど、釜本さんがメキシコオリンピックで銅メダルを獲ったチームの中心として、プレーをされていて、そこを目標にオリンピック代表は活動をしていましたし、そういう世界でも勝っていけるということを我々に示してくださって、日本が世界でも戦えるということを、本当に考えさせてくださった偉大な方。お亡くなりになって、本当に寂しい気持ちでいます」
釜本さんは1964年から77年まで日本代表として活躍し、国際Aマッチ76試合で歴代最多となる75得点を記録。1968年のメキシコ五輪では6試合で7得点を挙げ得点王に輝き、日本代表の銅メダル獲得に大きく貢献。圧倒的な得点力と存在感から、日本サッカーの象徴的存在として長く活躍をした。現役引退後は指導者や解説者としても活動。1978年に現役時代にプレーをしたヤンマーで監督業をスタートさせ、1993年に開幕したJリーグでガンバ大阪の指揮を執った。監督業から退いた後には、JFAの副会長を務めるなど、日本サッカー界の発展に尽力すると、2005年には日本サッカー殿堂入りを果たしていた。
森保監督は釜本さんと直接の関わりは少なかったものの「お声がけ頂いて、雑談程度」会話した思い出があるという。何より、国際Aマッチ歴代最多得点記録を持つ稀代の点取り屋で「釜本さんのようなストライカーが出てきて、また日本も世界を獲る確率が上がってくると思います。釜本さんを目標に現代の選手たちも、ストライカーとして同じポジションでやっている選手は特にイメージに持って、自分の成長にそして日本代表の勝利に貢献してもらいたいなと思います」と、受け継がる魂と共にレジェンド超えを願っていた。
(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)



















