即活躍と痛恨ミス…Jリーグ組の残酷な明暗 日本優勝から一転、天国と地獄の“再出発”

E-1選手権で優勝後、国内組はJクラブで新たなスタート
7月15日の韓国戦を1-0で制し、日本代表は2025年E-1選手権(韓国・龍仁)で3度目の優勝を果たした。大会後、森保一監督は欧州視察に出発し、選手たちはそれぞれ所属クラブへと戻って新たなスタートを切っている。
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韓国戦翌日の7月16日に行われた天皇杯3回戦では、サンフレッチェ広島の中村草太が藤枝MYFC戦の後半開始から出場し、いきなりゴールを奪うという強烈なインパクトを残した。「クラブに戻って結果を残し続けるしかない」という覚悟は、E-1組全員が抱いているはずだ。
9月以降の代表活動には欧州組が合流するため、国内組がメンバー入りを果たすには限られたチャンスを確実にものにしなければならない。E-1で5ゴールと圧巻の成績を残したジャーメイン良(広島)でさえ、クラブで継続的に数字を積み上げられなければ、フル代表入りは遠のく。それほど競争は熾烈だ。
そうしたなか、Jリーグ再開直後のE-1組の動向が注目を浴びた。まず好アピールを見せたのが宮代大聖だ。20日のファジアーノ岡山戦で、ヴィッセル神戸を首位に押し上げる決勝ゴールを叩き込んだ。
宮代はE-1のホンコン・チャイナ戦と韓国戦で先発し、前線でのハードワークと垣田裕暉(柏レイソル)、ジャーメインとの連携で存在感を示したもののゴールにはあと一歩届かなかった。その悔しさを晴らすかのように、岡山戦では佐々木大樹からのリターンを受け、得意の左サイドから右足を振り抜いてネットを揺らした。宮代らしい高精度のフィニッシュで、今季J1リーグ日本人選手トップとなる9得点目をマークした。
ただし、宮代にしてもジャーメインと同様、J1の舞台で継続的に結果を出し続けなければ、代表定着は見えてこない。日本代表の2列目は、南野拓実(ASモナコ)、鎌田大地(クリスタルパレス)、久保建英(レアル・ソシエダ)らがひしめく激戦区。ポジション争いは熾烈で、国内組にとっては極めて狭き門だ。かつて年代別代表で久保や中村敬斗(スタッド・ランス)らと共闘してきた宮代自身、その厳しさを誰より理解しているはず。求められるのは、常に世界基準に照らしたパフォーマンスだ。
強い覚悟が表れたゴール、してやったりの巧みなPK対応
一方、ゴールという点でインパクトを残したのが、柏との上位対決で勝利に導く一撃を叩き込んだ鹿島アントラーズのDF植田直通だ。韓国戦では終盤に空中戦の切り札として投入され、クリーンシートに貢献したものの、本人は大一番での先発落ちに納得していないはず。試合後は一言も発することなくスタジアムを後にした。
「鹿島を優勝させることがすべて」と常日頃から口癖のように言い続ける男にとって、チームを勝たせて、自分の序列を引き上げるしかないと痛感したのだろう。その強い覚悟が柏戦の2ゴール目で表れていたと言っていい。
ただし、終盤に瀬川祐輔が登場し、スルーパスを通されて2失点目を喫した場面では寄せきれなかった。球際や寄せの強さを信条とする植田にしてみれば、課題が残るシーンでもあった。そうした細部の修正を重ね、プレーの基準を高めていくことがフル代表への近道となる
その鹿島で、もう1人強烈なアピールを見せたのがGK早川友基だ。柏に16本のシュートを浴び、後半は防戦一方の厳しい展開のなか、中川敦瑛の強烈な一撃をファインセーブ。さらに小屋松智哉のPKに対しては、巧みな駆け引きで失敗に追い込んだ。
「ああいう時間帯だったんで、なかなか蹴らせないように時間かけて、まずはレフェリーと喋って。もちろんデータとか、相手の特徴も頭に入っていたので、上手く駆け引きしながら、外させるように仕向けました」と本人もしてやったりの表情。E-1で培った経験が精神的な余裕につながったのだろう。
GK陣に関しては、韓国戦でも存在感を示した大迫敬介(広島)、欧州組の鈴木彩艶(パルマ)が代表の常連組だが、残る1枠は依然として流動的だ。早川はそこに割って入るつもりでいる。これまでは、代表や2026年北中米ワールドカップ(W杯)は漠然とした存在でしかなかった。しかしE-1を経て、それは現実的な目標へと変わった。鹿島のゴールマウスを守りながら、彼はその舞台を本気で狙っている。

E-1を経て真価発揮「ちょっとやみつきになりました」
もう1人、E-1後のJリーグ再開戦で抜群のパフォーマンスを見せたのが、38歳の長友佑都(FC東京)だ。7月19日の浦和レッズ戦では右サイドバックで先発フル出場。リーグ戦ではインテル時代の2011年12月21日セリエA・レッチェ戦以来、約13年7か月ぶりの1試合2アシストを記録し、キレのある動きで右サイドを完全に掌握した。
対面には、クラブワールドカップ帰りのマテウス・サヴィオや松尾佑介といった技巧派のアタッカーが並んだが、長友はまったく臆せず間合いを詰め、彼らに自由を与えなかった。今季はなかなか出場機会に恵まれず苦しい時期を過ごしていた大ベテランは、E-1を経て本来の自分を取り戻しつつあるようだ。
「間違いなくE-1で自信がついたのと、E-1でキャプテンを任されて、トロフィーを掲げられたことで、ちょっとやみつきになりました。僕はもうW杯に行くと自分の中で決めてるんで、あとは自分は照準を合わせていくだけ。今の感覚としてはまだ8割くらいなんで、W杯仕様のコンディションとフィジカルに持っていくことを逆算して考えています」と、本人も鼻息が荒かった。その本気度はE-1前よりも確実に上がっているに違いない。
一方、そんな好発進組とは対照的に、J1再開戦で苦戦を強いられた選手もいる。鹿島戦の終了間際、致命的なミスパスで松村優太の決勝弾をお膳立てする形となってしまった古賀太陽(柏)、負傷で欠場した細谷真大(柏)、FC町田ゼルビア戦で脳震盪により途中交代を余儀なくされた綱島悠斗(東京V)。さらに神戸戦で百戦錬磨の酒井高徳に封じ込められた18歳の逸材・佐藤龍之介(ファジアーノ岡山)もその1人だ。
なかでもキャプテンとしてチームをけん引しながらまさかのミスを犯した古賀のショックは大きかっただろう。試合後、「最後、自分がゲームを壊してしまったのは事実なんで、そこは責任を感じてますし、僕自身もこの試合に懸けていたので、悔しさはあります。あのパスミスは技術ミスと判断ミス。それがどっちも重なった気がする。僕自身の問題かなと思いました」と、古賀は潔く責任を認めていた。
もっとも、サッカー選手にとって壁にぶつかることは避けられない。そこから這い上がれるかがすべてだ。次の代表活動は9月で、W杯本大会までのアピール期間は約10か月。時間はまだある。その期間をどう生かすかは自分次第。もちろん欧州組の動向やポジションバランスも影響するが、可能性を信じて突き進むことが肝心だ。
8月以降ギアを上げるためには、この夏をどう過ごすかが重要となる。E-1組の奮闘に、今後も注目していきたい。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。





















