サー・アレックスが築いた勝利の掟が後継者モイーズを葬った皮肉

3年半無冠だったファーガソンと、10か月で解任されたモイーズ

 しかし、そんな自画自賛はさておき、前回のコラムで僕が本当に言いたかったことは、最後の段落で記述したことだ。そこでもう一度その部分をここで記したい。

――英メディアは今回のモイーズ解任を、マンチェスター・Uの大きな変換期としてとらえているが、その変換は、ファーガソン監督が己の信念に基づき常勝チームを築いた、純粋にサッカーの結果を追い求めた現場優先の時代から、株価やスポンサー収益、グローバル・マーケティングといった贅肉が重くのしかかる、典型的なビッグクラブ経営の時代に移り変わったことなのかも知れない。――

 27年前、46歳の若きアレックス・ファーガソンがやって来た時、マンチェスター・Uは1967年にジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、デニス・ロゥ等の活躍で手にしたリーグ優勝から19年も遠ざかっていた。

 しかしそんなどん底状態にいたことで、最後の切り札的存在だった、才気と闘志溢れるスコットランド人闘将が、1990年のFA杯優勝を飾るまでの3年半の無冠をしのげたという側面もある。

 そしてその後の成功は周知の通り。あらゆる栄光を手に入れ、プレミア創設を契機に右肩上がりに成長し続けるイングランドの一部リーグとともに、マンチェスター・Uを世界有数のビッグクラブに押し上げた。

 ところがファーガソン監督が築いた勝利の掟が、最終的には自ら選んだ後継者の首をしめることになったのである。

 サー・アレックスに3年半無冠という猶予を与えて黄金時代を栄華したマンチェスター・Uが、わずか10か月でモイーズを切った歴史の皮肉。

 今回のモイーズ解任で僕が読者に感じて欲しかったのは、真のビッグクラブとなったことで、監督を簡単に首にしないという正しき伝統を忘れた、マンチェスター・U自身の歴史に矛盾することで生じた悲哀である。

【了】

森昌利●文 text by Masatoshi Mori

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