就職志望から一転、旧友の日本代表入りで「俺もプロに」 Jクラブ練習参加も…「やれる」の手応えと現実

名城大4年FW松永悠碁、悩んだ進路「正直、迷っていました」
鈴木淳之介、日本代表として2026年北中米ワールドカップ(W杯)最終予選に出場、デンマーク1部リーグのFCコペンハーゲンへ移籍――。
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このニュースに心を動かされた1人の大学生がいる。東海大学サッカーリーグ2部・名城大学のFW松永悠碁だ。高校時代、帝京大可児高で鈴木とホットラインを築いていた彼は、旧友の活躍に刺激を受けながら、自身のサッカー人生を見つめ直している。
岐阜県出身の松永は、FCV可児U-15から県内屈指の強豪・帝京大可児高へと進学。強烈なインパクトの右足キック、タイミング良くゴール前に入り込む嗅覚、鋭いカットインからの正確無比な一撃で2年時にトップチーム昇格を果たすと、その年の全国高校選手権ではベンチからチームを見守り、3年になるとチームのエースストライカーに成長した。
特に印象深かったのがプリンスリーグ東海でのパフォーマンスだ。湘南ベルマーレ内定の鈴木、高速サイドアタッカーのMF三品直哉(現・明治大)と攻撃のトライアングルを形成。鈴木の正確な縦パスに反応し、松永が絶妙なタイミングで抜け出してゴールに迫ったり、左に流れてからボールを受けて一気にカットインを仕掛けて、強烈な右足シュートをゴールの隅に突き刺すなど大暴れした。
プレミア参入戦にはあと一歩届かなかったが3位でフィニッシュ。松永は16試合で13ゴールを挙げ得点王に輝いた。2位・持山匡佑の11ゴール(静岡学園→中央大→川崎フロンターレ内定)、3位・古川陽介の9ゴール(静岡学園→ジュビロ磐田→グールニク・ザブジェ→ダルムシュタット)を上回る成績だった。
そして迎えた高校最後の選手権。初戦の今治東戦では、鈴木のヘディングに抜け出し、GKとの1対1を制して右足の豪快な一撃でネットを揺らす。2回戦の桐光学園戦では、ロングボールに反応してGKの動きを見極めた巧みなヘディングシュートでゴールを奪った。圧巻の2試合連続ゴール。チームはPK戦の末に敗れたが、大会に残したインパクトは絶大だった。
これだけの実績を残した松永が、なぜ東海2部の名城大学でプレーしているのか。疑問に思う人もいるだろう。
「高校の頃は正直、強い大学でサッカーを続けるか、勉強もしっかりやりながら大卒でいい企業に就職するか迷っていました」
大学時代にこみ上げてきた「自分は何をやっているんだ」の思い
当時、東海1部の強豪大学からもオファーは届いていた。しかし逡巡するなかで推薦枠は次々に埋まっていき、「推薦で名城大学に進んで、サッカーだけではなく、勉強もしっかりやろう」と決断。その後に結果がついてきた。
「プリンス東海得点王が決まったのが11月頃、選手権も12月末から1月にかけて。ここで活躍できたのですが、当然、強豪大学はすでに枠が埋まっていますし、推薦も決まっているなかで変更することはできませんでした。正直、もうサッカーは大学までだろうなと思いました」
東海2部に所属する名城大サッカー部に入部するも、高校時代の環境と比べると雲泥の差だった。
「名城で本気でサッカーをやろうと思って入部したのですが、当時は練習に遅刻する選手、そもそも来ない選手が多いし、試合だけの選手もいた。練習も言い方は悪いのですが、やる気のない選手が多くいて、モチベーションの低さに驚きました」
1年時は怪我も重なり、周囲の環境に流されてしまったこともあった。だが、2年生になると「本当にこのままでいいのか」と、自分自身に問いかけるようになった。
「高校入学時にはプロになりたいとか、そういう気持ちはなかったのですが、最後のほうに活躍して、(鈴木)淳之介もプロに行って、『俺も行きたい』と強く思うようになったんです。でも、東海2部に来て『ここでは無理だろうな』と思ってしまった自分がいた。2年生になって淳之介も徐々に出番を掴んできて、プリンス東海で戦った古川選手や玄理吾選手(徳島ヴォルティス)なども活躍していて、『自分は何をやっているんだ』という思いが込み上げてきました」
奮起を誓った2年時。松永は東海2部で14ゴールを挙げて得点ランキング2位に入り、勢いに乗った。3年時には、飛び出していたGKの位置を見極めてハーフウェイライン付近から50メートルのロングシュートを沈めたり、左サイドのタッチライン際からFKを直接右上隅に突き刺すなど、スーパーゴールを連発。16ゴール7アシストの結果を残し、東海2部得点王となり、アシストも全体で2番目に多い数字を残した。
仲間たちの背中を追い――「今は本気でプロを目指しています」
輝きを取り戻しつつあるなか、最終学年となる今年も東海2部前期終了時点ですでに6ゴール2アシストを記録し、得点ランキング2位につけている。そして7月にはJ2上位クラブの練習に参加し、大きな刺激を受けた。
「今は本気でプロを目指しています。ただ、結果を残せているように見えますが、4年間ずっと東海2部という現実があります。淳之介はベルマーレで不動の中心選手となって日本代表まで駆け上がって、さらに海外へと羽ばたいていった。ほかの同級生で言うと、選手権2回戦で対戦した桐光学園のMF山市秀翔選手(早稲田大)、得点王争いをした持山選手はともにフロンターレに決まって、プリンス東海で対戦したJFAアカデミーの山之内佑成選手(東洋大)も柏レイソルに決まるなど、戦ってきた仲間がどんどんプロに決まっている。焦りも正直ありますが、実際にJ2クラブの練習に参加してみて、シュートなどの攻撃面ではやれると思ったのですが、守備面で大きな課題を感じました。個人で奪える技術、寄せ切る力、それを連続してできる力をもっと身につけないといけないと思っています」
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があるが、まさに今の松永を象徴する。現状は、自分自身が選んだ道の結果であり、それを理解しているからこそ、本人も東海2部という舞台で必死に花を咲かせようとしている。
この努力が報われるかどうかは、これからの行動次第。強く願い、信じ、行動を重ねれば道は開けると信じて、残り半年、自らの未来を懸けて全力で走り抜ける。はるか先を行く仲間たちの背中を追いかけながら――。
(FOOTBALL ZONE編集部)




















