宮崎キャンプ中に届いたオファー「迷惑かかる」 苦渋の決断も…J1優勝GKがアメリカに渡った理由

MLSへ移籍のGK高丘陽平「強い覚悟を持って日本を離れました」
2026年北中米ワールドカップ(W杯)まで1年を切った。森保一監督率いる日本代表は8大会連続の出場を決めており、9月にはメキシコ、アメリカとの遠征試合が予定され、10月以降はパラグアイやW杯王者アルゼンチンなど強豪との対戦も視野に入る。そうした本番の舞台で奮闘しているのが、MLS(メジャーリーグ・サッカー)のバンクーバー・ホワイトキャップスGK高丘陽平だ。
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横浜F・マリノスで2022年J1制覇の原動力となった守護神は、23年2月に海を渡って以来、着実にキャリアを重ねてきた。7月23日にテキサス州・オースティンで行われるMLSオールスターには日本人初選出。日本代表初招集の期待が高まる“旬の男”に単独インタビューを実施し、MLS参戦の経緯、適応の難しさ、2年半の経験を語ってもらった。(取材・文=元川悦子/全8回の1回目)
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高丘は2年半前の出来事を神妙な面持ちで述懐する。
「2022年11月にマリノスで優勝し、Jリーグベストイレブンに選出してもらった時点で、『来季は海外でプレーしたい』という気持ちが固まっていました。第一希望はもちろん欧州。オファーを待っていたんですけど、その時点ではなかなかいい話をいただけませんでした。バンクーバーに関しては11月末くらいに最初のコンタクトがありましたが、その時は欧州にこだわっていたので、いったんは断っていたんです。
そのまま2023年になり、僕はマリノスの一員として始動し、宮崎キャンプにも参加しました。そのタイミングでホワイトキャップスから正式オファーが届いた。すでに新チームの構想にも入っていましたし、外に出るのは迷惑のかかる話。申し訳なさは少なからずあったんですけど、『ここでチャレンジしないと後悔するな』と強く思いました。
2022年カタールW杯が終わったばかりで、3年半後の2026年W杯を目指すとなった時に『今の自分のままでは戦えない』と感じていた。そこで外に出ることを決断し、マリノスに了承をいただいたうえで、カナダに向かうことになりました」
日本人GKの海外挑戦を振り返ると、イングランド・ポーツマスやデンマーク・ノアシェランに挑戦した川口能活(磐田GKコーチ)を皮切りに、川島永嗣(ジュビロ磐田)、権田修一(ハンガリー1部・デブレツェニ)、中村航輔(ポルティモネンセ→無所属)、シュミット・ダニエル(名古屋グランパス)と、欧州挑戦に踏み切った選手はいたが、MLSの扉を開いた者はこれまでいなかった。高丘は、そのフロンティアを切り拓いた“開拓者”でもあった。
「海外挑戦した先輩たちのことは本当にリスペクトしています。日本人GKが海外のチームで戦うことの難しさ、ハードルの高さというのは、僕自身も現地に行ってすぐに分かったこと。本当にどの選手も大変な思いをしたんだろうなとしみじみ感じました。
当時の僕は26歳。川島選手もシュミット選手もほぼ同じ年齢で海外に渡ったと思いますけど、自分も『今がギリギリだ』と思っていました。早生まれの僕は冬の移籍期間を過ぎてしまうと27歳になってしまう状況だったので、ひと際、危機感が強かった。だからこそ、退路を断ってやるしかないという強い覚悟を持って日本を離れましたね」
海外でまず直面した壁「マリノス時代はある程度は理解できた。ですが…」
そんな高丘が海外でまず直面した壁は、言葉だった。移籍前から英語の勉強には取り組んでいたものの、ネイティブのスピードや発音は想像以上に難解だったという。25年前、川口が「日本で最終ラインに『クリア』と言えばすぐに伝わるけど、イングランドに行って同じことを言っても全然伝わらなかった」と苦渋の表情で語ったことがあるが、高丘も似たような経験をした。
「マリノス時代はアンジェ・ポステコグルー監督を筆頭に、コーチ陣含めてオーストラリア人という体制で、ミーティングやピッチ内の英語はある程度は理解できていました。ですが、移籍した当初は難しかった。カリフォルニアでのプレシーズンキャンプに参加して、ピッチ内でのスピーディーな展開の中で意思疎通を図ろうとすると、言葉がなかなか出てこなくて苦労しましたね。
日本で言う『クリア』は現地では『アウェイ(Away)』ですし、『右にいるぞ』は『ライト・ショルダー(Right shoulder)』。キャンプには複数チームが来ていたんで、練習や練習試合でGKが話している言葉を耳を澄ませて盗んだり、あとはSNSでGKの選手がマイクを付けてコミュニケーションを取っているコンテンツを見つけたので、それでかなり学びましたね。今の時代はそういうツールがあるので、文明の利器を有効活用しながら、少しずつ乗り切っていった感じです(笑)」
GKというポジションは、守備陣との緻密な連携が欠かせない。だからこそ、語学力の重要性を改めて思い知らされたという。
「やはりGKは守備陣との密なすり合わせが必要不可欠。言葉ができなければ、思うようなプレーはできないと思います。川島選手は“複数言語ができる達人”と言われていますけど、本当に語学力は重要だと僕自身も痛感させられました」
手探りの状態で始まったMLSでの挑戦だったが、高丘は想像以上に早く適応し、着実に出場機会を重ねていくことになった。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。





















