異国の地でふと「次何しようかな?」 悟った引退の瞬間…天才司令塔がスパイクを脱いだ理由

高萩洋次郎氏がFC東京退団から引退までの経緯を回顧【写真:産経新聞社】
高萩洋次郎氏がFC東京退団から引退までの経緯を回顧【写真:産経新聞社】

アルベル監督の就任で潮目が変わった

 サンフレッチェ広島やFC東京で活躍し、今年1月に現役引退を発表した元日本代表MF高萩洋次郎氏が、「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じた。キャリア終盤に栃木SC、アルビレックス新潟シンガポールに移籍した経緯を告白。そして現役引退を決意した理由を明かした。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎/全11回の10回)

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 長谷川健太監督の下、2019年にJ1最終節まで優勝を争ったFC東京。2021年1月にはYBCルヴァンカップで久々のタイトルを獲得した。だが主軸を担ってきたDF室屋成、MF橋本拳人らが海外クラブへ移籍したこともあり、チームは徐々に下降線をたどった。21年11月には横浜F・マリノスに0-8と惨敗を喫し、翌日に長谷川監督がシーズン途中での退任を表明。一つのサイクルを終えた。

 翌2022年、アルビレックス新潟を率いていたスペイン出身のアルベル・プッチ・オルトネダ監督が就任した。35歳となった高萩は大半をベンチ外で過ごし、J1ではわずか3試合63分間の出場にとどまった。

「アルベル監督とのコミュニケーションの中で、最初からベテラン扱いされていて、試合では使わないというか、なんなら『コーチの勉強ならさせてやるぞ』みたいな感じたったので。年齢も年齢なので、試合に出ていないと、どんどん落ちていくというのは分かっていました。半年様子は見ましたけど、このままいてもそんなに変わんないんだろうなという風に思ったので。もちろん、そういう考えの人もいますし、自分とは考えが違うんだったら、移籍してもいいかなという判断をしました」

 出場機会を求めて選んだクラブはJ2の栃木SC。7月に期限付きで移籍し、2シーズン目から完全移籍に切り替えた。J2を舞台に戦うのは、愛媛でプレーした2006年以来のこと。シーズン途中で加わった1シーズン目は15試合1得点。翌年も36試合でピッチに立ったが、出場時間はちょうど1000分だった。多くが途中出場にとどまり、思ったような活躍ができないまま、シーズン終了後に退団した。

「山口慶さんがいた強化部からは、経験がない選手が多いから、いい影響を与えてほしいという話がありました。でも自分としては出場したい、出場時間を増やしたいっていう思いもありました。(フィジカル的な衰えは)全く感じていなかったです。栃木に行ってる時は全然。自分のプレーを試合で出す、長く試合に出してくれればくれるほど、勝ち点を拾える力になれると思ってたんですけど……。ベテランっていう印象もありましたし、出場時間がそんなに長くなかったんで、ちょっと悔しい思いもありましたね」

アルビレックス新潟シンガポールへ「もう1回海外に行きたい」

 栃木SCの退団が決まった時は37歳。現役引退を決めていたわけではない。だがその時が近づいていることも自覚していた。頭によぎったのは、ウェスタン・シドニー、FCソウルに続く、海外でのプレー。生活面も考えた上で、アルビレックス新潟シンガポールへの入団を決め、家族全員で海を渡った。

「最後にもう1回海外行きたいなっていう思いがありましたね。あの年齢になって、それこそ収入のことも考えて、どのぐらい(の収入)だったらプレーするっていうのを天秤にかけて。他にも何個か国内クラブからもオファーがあったんですけど、海外でもう1回やって終わりたいなっていう感じでした。引っ越しだったり、準備したり、いろいろ手続きとか大変な思いもするだろうけど、最後、海外に家族で行けたらいいなって。子供たちにとってもいい経験になるなという思いもありましたね」

 シンガポールでは13試合に出場した。加入してすぐにハムストリングの負傷に見舞われたが、7月末に復帰すると、中断期間に入る11月23日の第22節まで6試合連続でフル出場を果たした。リーグ戦は年明けから再開される予定だったが、クラブと話し合い、契約を解除してもらった。

「シーズンは途中だったんですけど、(11月の)年内最終戦が終わった後に、どういう気持ちになるか確かめたくて。だから最終戦のあとに今後どうするか決めようと思っていて、それまでは何も考えずにプレーすることだけ考えていました」

 契約を終えて、しばらくはシンガポールに滞在した。気持ちと体を休めていた時間、普段なら次のシーズンのことを考えているはずが、サッカーのことを考えていないことに気づき、スパイクを脱ぐことを決めた。

「日本に帰国するまで、シンガポールに1か月ぐらい滞在する時間があったので、そこで考えようと思っていて。2週間ぐらい経った時に、ふと振り返ってみたら、次どこでサッカーしようかなとか、どこのチームがあるかなとか、こういうサッカーしたいなとか、そういうことを考えることが1回もなかったんですよ。頭に浮かぶのは、次何しようかな、何の仕事しようかなとか、何をしたらいいんだろうなみたいなことばかり考えていた。これはもうやりきったなって思ったんですよ。それで家族や周りの人に引退しようと思っていることを話しました」

 今年の1月3日、自身のインスタグラムを更新した。「このたび、現役を引退することを決めました。様々な国でプレーさせていただき、そのすべてがここまでプレーできたことに繋がっていると思います。すべてかけがえのないもので、自分のサッカー人生に彩りを与えてくれました。この場を借りて自分のサッカー人生に関わってくれたすべての人に感謝を伝えたいです。本当に幸せで、最高のサッカー人生でした。本当にありがとうございました」と綴り、21年間のプロ生活を終えることを発表した。

「(昨年)12月ぐらいにはある程度気持ちは固まっていたんですけど、契約も解除していたので、記者会見とかする場所や場面もなかったので。でも、ここまでやってきたから、何かで発表したほうがいいかなとは思っていたので、自分でインスタに載せることにしました」

 実績とは不釣り合いなひっそりとした引退発表。でも高萩らしいシンプルな引き際だった。

(FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎 / Shintaro Inoue)



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