代表復帰も試合中に起きた「うわ」 痛感した本田圭佑たちとの差…中東“強行移動”も届かなかった大舞台

UAE遠征の直前に起きたアクシデント
サンフレッチェ広島やFC東京で活躍し、今年1月に現役引退を発表した元日本代表MF高萩洋次郎氏が、「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じた。2017年にFC東京に加入すると、約3年8か月ぶりに日本代表に復帰を果たす。だがその矢先に起きた不運なアクシデント、そして欧州組とプレーしたことで感じた“差”を明かした。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎/全11回の8回)
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2017年のFC東京はまさに“大型補強”を行っていた。川崎フロンターレからFW大久保嘉人、名古屋グランパスからFW永井謙佑、鳥栖からGK林彰洋を獲得。オランダ1部フィテッセでプレーしていたDF太田宏介も2年ぶりに復帰した。初優勝が期待されたチームのラストピースとして、FCソウルから加わったのが高萩だった。
「嘉人さんもそうですし、謙佑も、彰洋も来て。途中でウタカも入りましたしね。いいメンバーがたくさんいましたし、スタートは悪くなかったんですよね」
8番を背負った高萩は、開幕戦の鹿島アントラーズ戦から第4節の川崎フロンターレ戦まで4戦連続でボランチとしてフル出場。チームも3勝1敗の2位と好スタートを切った。そんな高萩の下にバヒド・ハリルホジッチ監督率いる日本代表から“吉報”が届いた。3月のロシアW杯最終予選・UAE、タイとの2連戦に臨むメンバーに選出されたのだ。2013年7月の東アジア選手権(現E-1選手権)以来、実に3年8か月ぶりの招集だった。だが大きな問題を抱えていた。
「直前のリーグ戦で足を痛めたんです。代表メンバーはもう発表されていたので、試合中に痛めて『うわ』と思いながらもフル出場して。でもその後、めちゃくちゃ腫れてきて……。久しぶりの代表で、ましてやW杯予選でしたし、できるんだったら絶対にやりたいと思って。あの時点では骨折というのは分かっていなくて、UAEまで行ったんですけど……」
現地で練習こそしたが痛みは消えなかった。病院でレントゲンを撮った結果、右母趾末節骨骨折と判明。帰国を余儀なくされた。
「本当に悔しかったですね。ここでポジションをつかめたら、という思いは2013年の時よりも大きかったんですよね。韓国でも経験を積んで戻ってきて、(デュエルを重視する)ハリルさんのサッカーにも適応できるんじゃないかなという思いもありましたし」
約1か月後には怪我から復帰したが、チームは波に乗れない時期が続いた。7月に主将の森重真人が負傷で離脱すると、キャプテンマークを巻くようになった。ボランチとしてバランスを取りながらも、上手くて、戦える選手を体現した。
そんな中、8月に再び代表から声がかかった。オーストラリア戦は、勝てばW杯出場が決まる大一番だった。だがベンチ入りメンバーには入れず、スタンドから試合を見守った。日本は2−0で勝利し、試合後は歓喜の輪に加わったが、“疎外感”は少なからずあった。
「やっぱりベンチ外だったというのはずっとあって、厳しいなという感覚でしたね。どこかでチャンスがあれば、W杯のメンバーには食い込みたいなという思いでやっていたんです。もうあの時はラストチャンスだと思っていたので」
痛感した“欧州組”との差
当時の日本代表の中心にいたのは、ベテランの長谷部誠や川島永嗣らに加え、同じ1986年生まれの本田圭佑、長友佑都、岡崎慎司だった。同世代では最も早くプロになった高萩は何を感じたのか。
「同世代ですけど、もう海外で活躍している状況でしたし、リスペクトしていましたね。やっぱり前のW杯も経験しているメンバーでしたし、その絆の深さというのは感じました。かなりコミュニティができあがっているような状態だったので、なかなかそこにグッと入っていくのは難しかったですね。少し遠慮気味というか。(広島で一緒にやっていた)槙野もいたので、みんなとコミュニケーションは取れていましたけど、いざピッチに入ると、今まで一緒にやってきて、積み上げてきたメンバーの中にポッと入るのは難しい感覚はありました」
オーストラリアや韓国で海外を経験したとはいえ、“欧州組”と一緒に活動したことで、自身に足りない部分も痛感した。フィジカル要素や球際での激しさなどプレーの強度はもちろん、何より自分の意見を主張していく強さを目の当たりにした。
「海外で揉まれている差というか、戦うとかフィジカルの部分もそうですし。あとはアピールの仕方ですね。自己表現できるのはやっぱり違うなと思いましたね」
優勝を期待されたFC東京は、最終的には13位に終わった。それでも高萩は3年ぶりのJ1リーグで30試合に出場し、存在感を発揮。リーグ戦終了後の12月に行われたE-1選手権に再び招集され、北朝鮮戦では2013年7月以来4年半ぶりに出場を果たした。だが、この国際Aマッチ3試合目が、日本代表としては最後の出場となった。その後、自身を代表に呼んでくれたハリルホジッチ監督が解任され、西野朗氏が監督に就任。2018年のロシアW杯への出場は叶わなかった。
「やっぱり代表で出るには足りなかったなと感じましたね」
届かなかったW杯の舞台。それでも2018年に長谷川健太氏を指揮官に迎えたFC東京には“変化”が起きていた。
(FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎 / Shintaro Inoue)





















