契約更新オファーも「考えさせてください」 代表、リーグ連覇、10番…順風満帆の中で海外移籍を決めた訳

2013年には背番号10を背負った高萩洋次郎氏【写真:産経新聞社】
2013年には背番号10を背負った高萩洋次郎氏【写真:産経新聞社】

2013年の東アジアカップで日本代表デビューを果たした

 サンフレッチェ広島やFC東京で活躍し、今年1月に現役引退を発表した元日本代表MF高萩洋次郎氏が、「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じた。悲願のリーグ初優勝を果たした2012年12月、開催国枠としてFIFAクラブワールドカップ(W杯)出場した。そこで芽生えた“思い”が、異例の海外挑戦を選ぶきっかけとなった(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎/全11回の6回)
 
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 初のリーグ初優勝を果たした2012年11月24日のセレッソ大阪戦からわずか2週間後、広島は開催国枠としてクラブW杯に出場した。開幕戦では横浜国際総合競技場で、オークランド・シティ(ニュージーランド)と対戦。高萩自身も先発出場し、1-0で勝利した。

「めっちゃ楽しかったんですよね。オークランドだったので、これだけは負けられないと思ってやりましたね。その後、豊田に移動してアル・アハリ(エジプト)に負けちゃって、最後の順位決定戦(蔚山現代)は勝ったんですけど、3試合しかできなかったなと。チェルシー(イングランド)やコリンチャンス(ブラジル)とか強いチームとやりたかったなと思いましたね。あのクラブW杯は本当に楽しかったですね。またこの大会に出るにはACL(アジア・チャンピオンズリーグ)に優勝しないといけないので、ACLへの思いにつながりましたね」

 年代別代表で海外遠征を経験していたとはいえ、クラブとして出場する国際大会は刺激的だった。クラブとしても、自身としても2度目のACL出場となった2013年は、グループリーグ敗退となったが、5試合に出場。翌2014年にはグループリーグを2位で突破し、決勝トーナメント1回戦では、のちに移籍することになるウェスタン・シドニー(オーストラリア)と対戦。ホーム&アウェーの2戦合計で3-3となったが、アウェーゴールの差で敗れた。

「食事もそうですし、海外の雰囲気を味わえるのがすごい楽しくて、アウェーが大好きだったんですよ。Jリーグの遠征とは違って、試合の2日前には入るので、ちょっと街を散歩したり、お茶しに行ったりという時間も作れたので。ACLは新鮮でしたね」

 2013年にもうひとつ大きな出来事があった。7月に韓国で開催された東アジアカップ(現E-1選手権)の日本代表メンバーに初めて選ばれた。

「嬉しかったですよ。国内組だったので、知っている人ばかりでしたし。でも東アジアって僕らの感覚で言うと、B代表みたいな。日本代表だけど、海外組もいないし、本当のA代表とは違う、おまけみたいな感覚でしたね。よっしゃ、日の丸背負って、日本代表を背負って戦うぞみたいな感覚はあまりなかったですね」

 代表デビュー戦となった初戦の中国戦ではトップ下に入った。いきなり先制を許す展開となったが、次第に攻撃のリズムを作り出し、3得点に絡む活躍をみせた。第3戦の韓国戦でも先発出場し、2-1の勝利に導き、優勝に貢献した。だが大会を通じて3得点を挙げた柿谷曜一朗や1アシストを記録した青山敏弘らのように、目に見える数字は残せなかった。

「やっぱり、その後のブラジル・ワールドカップのメンバーにも入った(柿谷)曜一朗や、青ちゃん(青山敏弘)は広島でもやってましたけど、レベルは1ランク、2ランク上だなと感じましたね。W杯はなかなか厳しいだろうなとは思いましたね。それこそ、自分は広島のサッカーに慣れていたので、あの時はザッケローニさんでしたけど、また違うサッカーだったので、活躍したって印象はなかったですね。ただ優勝できたんで、すごい嬉しかったのは覚えてます」

ユース時代から育ててくれた広島を離れるという決断

 チームは2013年も順調だった。この年から背番号を10に変更したこともあり、高萩の存在感はさらに強くなった。前年の4得点13アシストには及ばなかったが、31試合に出場して3得点12アシストを記録。2位で最終節を迎えたが、首位の横浜F・マリノスが敗れたことにより、鹿島アントラーズに勝利した広島が逆転で連覇を達成した。

 史上2チーム目となる3連覇を狙った2014年だったが、相手に対策をされて失点数が増加し、8位に終わった。高萩自身もこの年は数字こそ落としたが、32試合に出場して、3得点6アシスト。準優勝したナビスコカップでも3アシストを記録するなど、主力として貢献した。だがその裏では“ある気持ち”が芽生えていた。

「2連覇をして、僕も28歳になって、広島でも何年か積み上げてきたものがあるじゃないですか。契約の話もありましたけど、ちょっと考えさせてくださいと。もちろん、サンフレッチェへの思いはありました。ただ海外への気持ちもありましたし、『海外の英語圏のチームでプレーしたいという気持ちはあるんです』という話もずっとしていたので。クラブも編成しないといけないですし、予算もあるでしょうから、ある程度、返答の期限を決めるじゃないですか。その期限までに自分の中で答えを出せなかったので。来シーズンは契約しないという形になりました」

“異例”の選択だった。契約更新をしないと決めた年末の時点ではオファーはなく、何も決まっていなかった。英語圏を希望していたため、メジャーリーグ・サッカーのアメリカやカナダ、そしてオーストラリアへのクラブの移籍の可能性を探った。その中で、最初にオファーが来たのが、ウェスタン・シドニーだった。

「頑張って探していたので、シドニーから話が来た時は嬉しかったですよ。その前のシーズンに小野伸二さんもいましたし、2014年のACLでも対戦していたので。その年にACLを優勝していたので、2015年もACLに出られる環境だったので。ACLに絶対に出たいなというのはあったので決めました」

 2015年1月、Aリーグのウェスタン・シドニーと5月までの短期契約を締結。オーストラリアで初めて海外挑戦をすることになった。

(FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎 / Shintaro Inoue)



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