Jデビュー戦で衝撃「守備しに来たんか」 海外挑戦で覚醒…28歳日本人が歩んだ代表への道のり

インドネシア戦で代表初ゴールの森下龍矢、海外クラブでの学びを体現
6月10日に行われた2026年米国、カナダ、メキシコ共催ワールドカップ(W杯)アジア最終予選、インドネシア戦の後半10分だった。
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左サイドに進んだ町野修斗がふわりとしたパスを逆サイドに送る。その先には右のウイングバック、森下龍矢がいた。森下はインサイドキックで丁寧にボールを蹴り、狭いコースを抜いて代表初ゴールを挙げた。ここで「おや?」と思った人もいたはずだ。
森下は2020年、サガン鳥栖でプロデビュー。その年にチーム最多タイの33試合に出場し、3ゴールを奪った。その得点はインステップで思い切り良く振り抜いたもの。この町野からのクロスもインステップで蹴り込むのにちょうど良かったのだ。
そのことを聞かれた森下は「インステップで行こうかとても迷いました」と素直に教えてくれた。それでもインステップで蹴らなかったのは、所属するレギア・ワルシャワ(ポーランド)のチームメイトのスペイン人の言葉を思い出したからだという。
「シュートはシュートじゃなくて、『パストゥーダゴール(ゴールへのパス)』なんですよ」
すらりと言葉が入ってきているところも、すっかり海外での生活に慣れたことを意味しているのだろう。
2020年の新人研修の時、「自分はサイドバック(SB)ながら前への果敢な攻め上がりが1つ特長であると思います」と語っていた言葉どおり、この日もしっかりと自身の良さを発揮していた。
しかし、最初から順調というわけではなかった。森下がSBに挑戦したのは鳥栖に入ってから。当時の金明輝監督の指導の下、厳しく育てられる。
「明輝さんからはもちろん厳しいことを言われましたけど、それが今、ものすごく生きてます。今はウインガーもやるし、ウイングバックもやりますけど、サイドバックをしっかり高いレベルできるのは明輝さんのおかげです」
金監督は起用方法も厳しかった。森下は2020年のJ1開幕戦でフル出場したのだが、並みの選手だったらその試合で心が折れていてもおかしくなかった。相手はその年、2位に勝点18の差を付けて圧倒的な力で優勝した川崎フロンターレだった。
「マークしていた長谷川竜也さんが当時もグングンくるプレーヤーで。65分までなんとか耐えて0-0だったんですけど、長谷川さんに交代して出てきたのが三笘薫ですからね。『オレはサッカーしに来てるんじゃなくて守備しに来たんか』と思いました。本当にただサンドバッグになりに来たんかと思って」
「あの時は本当に差を感じました」と語るものの、その試合は0-0のまま終了。森下は90分間耐えきることができた。今でこそ大学の大先輩である長友佑都の流れを汲む、日本代表の「陽キャ」の1人だが、この川崎戦では試合後のミックスゾーンで憮然としていた。それくらいショックを受けていたのだろう。
代表定着へ「いろいろなものを吸収してやろう」から一転の心境
森下は2021年に名古屋グランパスへ移籍。鳥栖では右SBだったが、名古屋では最初、左SBの吉田豊のバックアッパーとして考えられていた。22試合に出場しながらプレーしたのは911分のみ。フル出場は3試合しかない。
しかし2022年からはすっかり先発に定着し、2023年には33試合に出場して4ゴールを挙げる。2023年6月15日に豊田スタジアムで開催されたエルサルバドル戦で初めて日本代表のユニフォームに袖を通すと、その年の12月にはレギア・ワルシャワへの移籍が発表された。
2024年1月1日のタイ戦で2度目の代表戦を経験して飛び立ったポーランド1部では、レギア・ワルシャワ加入2年目となった今季(2024-25シーズン)から重用されるようになり、MFの中で3番目に多いプレー時間を確保。リーグ戦で6ゴール、国内カップ戦で4ゴール(公式戦で計14ゴール)を挙げ、UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ(ECL)プレーオフ予選3回戦第1戦のブレンビー(デンマーク)戦では決勝点、16強第2戦のモルデ(ノルウェー)戦では先制点を奪った。さらにポーランドカップの決勝では1ゴール2アシストのパフォーマンスで優勝に貢献する活躍も見せている。
インドネシア戦前日の取材では、これまでの「いろいろなものを吸収してやろう」と思っていた気持ちから「自分の力を示しに来たほうが大きい。得点やアシスト、目に見える結果だけを追い求めてプレーしたい」と語っていた。その言葉どおりゴールを奪って、まずは代表定着の足がかりにした。
だが森下は言う。
「いや、通過点なんで。ガツガツいきますよ!」

森 雅史
もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。