香川真司のマンU行きは「奇跡だった」 日本→欧州移籍…成功例には「危険性がある」

岡崎慎司が語る香川のマンU移籍「あれを夢見てきた選手も多いと思うけど…」
欧州でプレーする日本人選手が増えるなか、ビッグクラブへのステップアップ移籍はいつの時代も世間の耳目を集める。現在ドイツ6部チームで指揮を執る元日本代表FWの岡崎慎司は、日本サッカー史に刻まれた日本人選手のキャリアアップを振り返り、「その後の選手たちにとっては難しいイメージになってしまったかもしれない」と指摘。成功物語に敬意を示す一方、「個人的には最初に苦労したほうがいいと思っている」と移籍論を展開した。(取材・文=中野吉之伴)
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日本人選手が夢見る欧州移籍のキャリアアップで一番の理想とされるのは香川真司かもしれない。
当時、世界的に無名な存在ながらセレッソ大阪からドイツの名門ボルシア・ドルトムントへ移籍すると、ユルゲン・クロップ監督の抜擢を受けてすぐにレギュラーポジションを確保。主軸として活躍するだけではなく、加入1シーズン目にリーグとカップ戦の2冠を達成し、翌シーズンもリーグ2連覇を果たす。バイエルン・ミュンヘンの1強時代が長く続いたブンデスリーガにおいて、リーグ2連覇を果たした他のクラブはこの25年間でドルトムントしかないことが、その凄さをより際立たせている。
その後、香川は1600万ユーロ(当時約21億円)の違約金でイングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドへ移籍。伝説の名指揮官アレックス・ファーガソンから高い評価を受けるなど、その存在を世界中に知らしめた。
こうした成功物語に最大限の敬意を払うと同時に、これを一例とする危険性について口にしたのは岡崎慎司だ。
「香川真司の成功例、本当にあれを夢見てきた選手も多いと思うんですけど、あれってマジで奇跡だったと思う。ドルトムントに行ってすぐ活躍して、ステップアップしてマンU。あの成功の仕方はインパクトが強すぎた。あと長友(佑都)もそうかも。イタリアのチェゼーナに行って活躍し、インテル移籍。世界的に見ても滅多に起きないケースなんですけど、あの頃それが2つ同時期に生まれた。そのためにその後の選手たちにとっては難しいイメージになってしまったかもしれない」
岡崎は清水エスパルスからブンデスリーガのシュツットガルトへ移籍。その後マインツで活躍し、プレミアリーグのレスター・シティへ活躍の場を移すと、のちに「ミラクル・レスター」と称される躍進ぶりで史上初となるリーグ優勝に貢献した。そんな比類なき素晴らしいキャリアを持つ岡崎だが、移籍当初は「本来苦労することが大事」だと話す。
「凄いことなんですけど、でもパって入って苦労少なく成功したら、なんで成功したかっていうのが分かりづらいじゃないですか。だから個人的には最初に苦労したほうがいいと思っているんです。最初に苦労していると、その後で苦労した時に1回そこに戻れるんですけど、1回目で成功しちゃうと俺はやれるっていう感覚がずっとあったまま、取り戻せずに終わっちゃう危険性があるかなって」

欧州挑戦で得た実感「積み重ねの中で試合に出ていく段階を踏むのは大事」
選手のパフォーマンスには、本人の能力だけではなくチームや監督との相性、対戦相手の調子、リーグの流れなど複合的な要因が関係する。長いシーズンでは常に右肩上がりに上手くいくわけではなく、躓いたり、方向転換を余儀なくされる時も少なくない。急な監督交代、主力の負傷、ライバルクラブの奮起……様々なことが起こるのだ。好調時はコミュニケーションが曖昧なままでも勢いで機能していたものが、一度整理し直そうとなると、細かいところでの話し合いや共通理解の修正が必要になってくる。
「僕は冬の移籍からシュツットガルトに入った。休みがない状態で、しかもアジアカップが終わってそのまま参加したので、テンションは同じような感じで入れたんですよね。特にフレッシュな状態で、周りは残留争いで疲れているなか、俺はやる気に満ちてるしパワーもあった。そういう意味では残留に貢献できたのかなと思う」
だが、シュツットガルト在籍2シーズン目は大きな苦労が待っていた。出場機会が減り、起用法も本人の思う形とは異なった。チーム戦術を重視してプレーしても後半15分過ぎに交代となり、それならばと自分の思うようにプレーすると、「勝手なことはするな」と試合で使ってもらえなくなる。自分本位なプレーばかりしている同僚が、多少パワーとスピードがあるからとほぼフル出場している事実をどう受け止めればいいのか。悩んで迷って苦しんだこの時期に岡崎は自分と向き合い、強みの出し方を追求し、それが後のマインツでの成功へとつながっていった。
「だからプレシーズンの最初から一緒に参加して、ちゃんと練習の中で評価され、その積み重ねの中で試合に出ていく段階を踏むのは結構大事。1発目に一気に飛びすぎることで得られるものも多いけど、じゃあ僕からしたらその次、もう1個違う未来もあったんじゃないかっていうふうにも考えるんです。人にもよりますけど、自分の成長のために日本人はいろんなところを経験するべきだなと思います」
試合に出られない時期が続いた時、選手としては焦りを感じることもあるだろうし、なかなか移籍できなければ停滞感が生まれるかもしれない。だがどれだけ焦っても、どれだけ夢見ても、他力本願の部分に力を費やすのではなく、自分に何ができるかに目を向けたほうがいいという岡崎のメッセージには、とても含蓄があるではないか。
選手や関係者だけではなく、日本のサッカーファンも受け止めたほうがいい。夢のようなキャリアだけが「成功」ではないし、欧州5大リーグでプレーしなければ「失敗」でもない。選手それぞれに合った成長プランを一緒に応援することが大切なのではないだろうか。
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)

中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)取得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなクラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国で精力的に取材。著書に『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。





















