無名2年生にJ練習打診「何かの間違いやないかと」 人生一変…内定&デビューで急成長の逸材

日本体育大学の松山北斗、甲府の練習参加打診に「なんで試合に出ていない俺?」
今年3月に2027-28シーズンからヴァンフォーレ甲府入り内定が発表された日本体育大学の3年生FW松山北斗。内定発表直後のJ2リーグ第6節のジェフユナイテッド千葉戦で、出場時間こそ短かったがプロデビューを飾ると、続くルヴァンカップの藤枝MYFC戦にも途中出場を果たし、武器であるスピードに乗ったドリブル突破を見せた。
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4月になり、彼は関東大学リーグ1部で日体大のエースとしてピッチに立っている。
甲府ではウイングバックがメインだが、日体大では4-4-2の2トップの一角。4試合を戦ってまだゴールこそないが、DFラインとの絶妙な駆け引きからのラインブレイクのスプリント、ドリブルは相手のDFラインを下げさせ、周りのアタッカーの攻撃力を引き出している。チームも2勝1敗1分の4位と好調だ。
「縦への突破、裏のスペースへのスプリントは自分の武器だと思っています。甲府でもそこは評価されているので、もっと磨いていきたい」
こう口にする彼だが、高校時代はスピードでちぎっていくよりもテクニックで勝負するタイプの選手だった。小学校時代は家長昭博、宇佐美貴史などを輩出した京都長岡京SSでプレーし、京都FC長岡京を経て、帝京長岡に進学をした。
スピードは天性のものがあったが、足元でボールを受けて細かいタッチや相手の逆を突くプレーで相手を剥がしてからスピードに乗るという形が得意だった。
「自分の中で足元でのプレーにこだわりがあったんです。高校時代に谷口哲朗総監督や古沢徹監督に『それだけスピードがあるのだから、もっとアバウトに縦に仕掛けていいぞ』と言われていたのですが、心のどこかで『そんなのは自分じゃない』と思ってしまっていました」
徐々にスピードを生かす形はトライするようになり、実際に相手をぶっちぎるシーンも増えた。だが、それでも彼は足元に拘った。日体大に進学してからも矢野晴之介監督から「お前は足元ではなく裏に走ったほうがいい。もっとアバウトに縦に早くていいんだ」と同様のことを言われた。
それでも最初は「俺の武器はそれじゃない」とどうしても抵抗が生まれていたが、「高校、大学とそう言われるということは、一度固定観念を捨ててみた方がいいんじゃないかと考えるようになりました」と一度気持ちをリセットしてその通りにプレーすることを決意。すると、自分が思っていた以上にスピードを生かしたプレーが、ラインブレイクやゴールに迫ることができることを体感した。
より明確な武器を発揮できるようになったことで、彼の人生は一変した。昨年の夏、いきなり甲府から練習参加の打診が届いたのだった。
春先からトップチームにはいたが、ベンチ入りして初出場できたのは6月2日の関東2部の第7節・拓殖大戦で、初スタメンを飾ったのは8月10日の第11節の山梨学院大戦。呼ばれた時はまだ1ゴールも挙げていない状態だった。
「正直、最初聞いたときは『なんで全く試合に出ていない俺なんだろ? 何かの間違いやないか』と思っていた」
まさに青天の霹靂だったが、いざ練習に参加をしてみると、「周りのレベルが高くて、動き出したらパスがスパンとくるし、めちゃくちゃやりやすいと感じたんです」と、自分のスピードや突破力が通用するという大きな手応えを掴んだ。
これが大きな自信となり、彼は練習参加後からレギュラーを確保。終盤はスタメンから外れたが、1月には甲府の一次キャンプ(静岡)と二次キャンプ(宮崎)に呼ばれ、さらにドリブルとスピードを磨いた。そして、二次キャンプで正式オファーをもらって内定発表とJデビューを果たし、チームにおいても不動の存在となった。
「長岡京、帝京長岡でずっと足元を鍛えられたことがベースになって、本来の武器であるスピードをシンプルに生かしたプレーがプラスされたことで、自分でも驚くくらい大きく変わることができた。これまでの指導者の人たちに感謝と恩返しを伝えるために、これからはこの武器をより磨いていきたいと思います」
ターニングポイントを超え、さらなる進化の段階に入った日体大のスピードスター・松山北斗。大学でもJリーグでも、彼は己の武器を信じてただひたすらにピッチを駆け抜けていく。
(安藤隆人 / Takahito Ando)
安藤隆人
あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』(共に徳間書店)、など15作を数える。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼任。




















