日本代表コーチが寵愛「スーパーな選手」 J3でブレイク→英移籍の逸材21歳が“歩んだ軌跡”【コラム】
横山歩夢は海外移籍のためにチームを離脱した
7月以降、樺山諒乃介、河田篤秀(ともにザスパクサツ群馬)、菊地泰智(名古屋グランパス)、手塚康平(柏レイソル)、長沼洋一(浦和レッズ)と選手流出が相次ぎ、J2降格への懸念が強まっているサガン鳥栖。ヴィキンタス・スリヴカやジャジャ・シルバなどの新戦力を獲得し、J1中断期間に立て直しを図ったが、その矢先に川井健太監督の契約解除という衝撃の一報が飛び込んできた。
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これには関係者もサポーターも驚きを隠せないはず。川井監督の辞任直前にチームを離れることになった今季24試合出場5ゴールの横山歩夢もやはり思うところがあるだろう。
8月7日の鹿島アントラーズ戦の翌日にチームを離脱した21歳のドリブラーの新天地は同10日、イングランド・フットボールリーグ1(3部)のバーミンガム・シティに決定した。同クラブは2000年代プレミアリーグに参戦していた名門。2010年代からはチャンピオンシップ(2部)に定着し、昨季とうとう3部に降格してしまった。それでも、1年で2部に戻るべく戦力を維持。2019年コパ・アメリカ(ブラジル)に日本代表として参戦した三好康児も名を連ねている。
「できれば2部に行ってほしかった」という声も関係者やサポーターから聞こえてくるが、横山は2021年に当時J2だった松本山雅でプロキャリアをスタートさせた選手。2022年はJ3でプレーし、11ゴールという目覚ましい活躍を見せ、2カテゴリー上の鳥栖に引き抜かれた経緯がある。その生きざまを見れば「仮に下部リーグからスタートしたとしても、泥臭く這い上がっていける人材」だということがよく分かるだろう。
横山を大きく伸ばした指導者の1人が、2021年途中から2022年まで松本山雅を率いた名波浩監督(現日本代表コーチ)である。出会った段階で「戦術理解度が低い」と感じた指揮官は、三浦文丈コーチ(現磐田コーチ)をマンツーマンのような形でつけて、FWとしての動きを1から徹底させたのだ。
横山が前線でボールを受けようとすると「もっとマークから離れろ」「裏へ抜け出せ」「味方との距離感を考えて動け」と三浦コーチから事細かく指示が飛ぶ。2021年後半は本人も要求をこなすだけで精一杯。試合出場機会もほぼなかった。しかし、2022年になると、J3に落ちたこともあって一気にブレイクを果たした。
名波監督は横山の不在時に「ヴィッセル神戸のイニエスタ(エミレーツクラブ)、川崎フロンターレの家長(昭博)とスーパーな選手がいなくなればチームに大きなダメージが生じるのが当たり前。山雅にとっての横山もそういう存在だ」と語ったことがある。まさに「絶対的エース」というに相応しい働きを見せていたのだ。
松本山雅で身に着けたベースを生かし、横山は鳥栖でさらなる飛躍を見せた。2023年は怪我もあり、17試合出場ノーゴールにとどまったが、今季は5月から左FWの定位置を確保。切れ味鋭いドリブル突破で数々のチャンスを作り、自らも得点を重ねていった。
現在の鳥栖は11ゴールのマルセロ・ヒアンが最大の得点源だが、横山はそれに続く存在だ。ゆえに、7月にレンタルで鳥栖に赴いた元日本代表の清武弘嗣も「歩夢は世界で活躍できる選手」だと感じたという。
「確実に世界で活躍してくれるというのは、僕がここに来た時から感じていること。それはもう間違いないと思うんで。自分も海外を経験した中で、日本にこういう素晴らしい若い選手がいるっていうのは、(海外目線で見れば)やっぱりもったいない。潜在能力は代表クラスだし、いずれ代表を狙える選手だと思うから。鳥栖に残る僕らはチームのためにすべてを懸けてやらないといけないけど、彼には大きく成長してほしいと思います」とドイツ・スペインで活躍してきた34歳のベテランも太鼓判を押した。
清武との共闘はわずか1か月だけだったが、2014年ブラジル・ワールドカップに参戦した偉大な先輩から横山が刺激を受けた部分は少なからずあったはず。この機会を絶対に逃したくないという思いも強まったはずだ。
「この先、どうなるか分からないですけど、自分は今、間違いなく成長できていますし、これを続けたいなというふうに思います、J1で試合に出るようになって、『やってやろう』という気持ちはどんどん増えてきた。『このカテゴリーでもやれる』という自信も増えて、昔とは変わったと思います」と鹿島戦後に発言。まだ離脱発表前だったため、海外移籍には触れなかったものの、彼の中の意識は世界に向いていたのではないだろうか。
三笘薫や中村敬斗もぶつかった壁…21歳が乗り越えるべき課題
鹿島戦では濃野公人や三竿健斗らが2枚がかりでマークしてくる中、有効な局面打開ができず、まだまだ成長が必要だということを実感させた。ただ、三笘薫(ブライトン)や中村敬斗(スタッド・ランス)といった左FWの先人たちもそれぞれの環境で大柄なサイズの外国人選手と対峙し、駆け引きや技術を学んでいった。
年代別代表経験が少なく、世界大会にも出ていない21歳の若武者はまだまだトライしなければいけないことが数多くある。サッカーの母国・イングランドに身を投じ、堂々とぶつかっていくことが重要なのだ。
「2人がかりで対応されても、もっと自分から積極的に抜きにいったり、周りを使いながら打開していくことを増やさなきゃいけない。ハードワークの部分だったり、得点に絡む仕事もやっていく必要があると思います」と本人も足りない部分を貪欲に吸収していこうとしている。その雑草魂は同じく松本山雅出身で海外に出ていった前田大然(セルティック)に通じるところがある。
生き馬の目を抜くようなイングランド3部で「自分が突き抜けてやる」という野心と負けん気の強さを示し、ドリブルという絶対的な武器を研ぎ澄ませていけば、清武の言うように、代表入りもないとは言い切れない。前田大然の背中を追うべく、横山には成長曲線を引き上げてほしい。
彼が去った鳥栖も木谷公亮新監督の下、ジャジャ・シルバら新たな戦力をうまく生かしつつ、得点力を引き上げていくべきだ。川井監督は「ゴールはいろんな選手が取った方がいい。我々は依存ではないが、(マルセロ・ヒアン)をチームメートも見すぎている印象がある。選手入れ替わる中で難しさはあるが、しっかり試合をしながら形を作っていかないといけない」と話していたが、果たして横山が抜けた穴を新指揮官は埋められるのか。そこは興味深い点である。
現状はなかなか厳しい部分があるものの、持てるすべての力を投じてJ1に踏み止まることが肝要だ。特に清武にはベテランとして経験値と落ち着きを注入してもらうしかない。チームを離れた横山もその動向を注視しているはず。ここからの鳥栖と横山の歩みから目が離せない。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)
元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。