五輪サッカー登録18人は「変わらない」IOCの“裏事情” 日本も「どうせ勝てない」強制減の過去【コラム】
五輪には全体の選手数を定める上限「1万500人枠」がある
1900年の第2回パリ大会で正式競技に採用されたサッカーは、参加選手資格を変えながらも「特異な存在」として続いてきた。「世界最高峰の大会」の中での「世界最高峰ではない競技」。国際サッカー連盟(FIFA)と国際オリンピック委員会(IOC)の関係から五輪サッカーを考える連載を5回にわたってお届けする。第5回は五輪サッカー特有の人数制限について。(文=荻島弘一)
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五輪サッカーの登録人数が18人になったのは、1996年アトランタ大会から。92年バルセロナ大会は20人。3人のオーバーエイジ枠採用と同じタイミングで人数が削減された。日本が68年メキシコシティ大会以来28年ぶりの出場を果たした大会は、92年バルセロナ大会の年齢制限23歳以下とともに歴史的な転換期となった大会だった。
この大会の前年にルールが変わり、これまで2人だった選手交代が3人までとなった。ワールドカップ(W杯)はこれを受けて、22人だった登録人数を02年から23人に拡大している。交代人数が増えれば、登録選手数も増えるのが自然。なぜ、逆行する「ルール改悪」が行われたのか。
五輪が、ほかの競技も行われる総合大会だからだ。96年アトランタ大会から女子が採用された。サッカー全体の選手数を抑えるため、男子の人数削減が必要だったのだ。IOCはほかの競技でも女子の採用と同じタイミングで男子の選手数の削減をしている。団体競技ならチーム数を減らしたり、個人競技なら実施階級を減らしたりする。
五輪の中でサッカーは特別な扱いを受けている。開催都市以外での実施は以前から認められていたし、開会式前の競技も行っている。何よりもバレーボールやハンドボールなど他の団体球技はいずれも参加12チームだが、サッカー男子だけは16(女子は12)。それでも、選手の人数だけはこれ以上増やせなかった。
登録18人は、以後30年近く変わっていない。21年の東京大会は新型コロナ禍の特例として22人に増やされたが、パリ大会は通常の18人に逆戻り。今大会を前に、FIFAは22人への拡大を要望したが、IOCはこれを拒否している。かたくなに18人という枠を守っているのだ。
登録人数が変わらない裏には、五輪参加選手数を抑えたいIOCの事情がある。夏季大会は肥大化する一方で、今大会では追加競技も含めて22競技が行われる。開催経費を抑え、スムーズな運営を行うために全体の選手数は1万500人を上限としている。仮に4人増の22人を認めれば、男女28チームで100人以上の増枠。実施競技を増やすためにほかの競技の参加人数を削減しているIOCが、サッカーだけを優遇するわけにいかなかった。ほかの団体球技と同様に登録選手数を変えなかった。
実は、かつての登録人数は今より多かった。というよりも、登録選手数は参加チーム側の事情によって変わっていた。日本が銅メダルに輝いた68年メキシコシティ大会の枠は20人だったが、日本代表は18人。64年東京大会までは負傷以外のメンバー変更が認められなかったこともあって、それまで人数にこだわりがなかったのだろう。
当時コーチだった岡野俊一郎氏は「枠はあったが、JOCから『どうせ勝てないだから』と18人に減らされた」と話した。メダルは登録選手数分出て、実は岡野氏も銅メダルを持っている。「メキシコ協会の友人が『出るんだから、もらっておけよ』と選手登録しておいてくれたんだ」。近年では考えられない、すいぶん牧歌的な話だ。
話は現在に戻るが、今大会直前に突然ルールが変更された。負傷などの際に交代できる4人のバックアップメンバーについて、基本的に入れ替えの自由が認められたのだ。実質的にFIFAが要望していた「22人登録、ベンチ入り18人」の形になった。
この難解なルールがIOCらしい。あくまでも「登録18人」は維持しながら、FIFAの要望も受け入れた。さらに、実施競技全体とのバランスも考慮し、バレーボールなどほかの競技のバックアップメンバーも「入れ替え自由」とした。さすがに、体裁を整えるのが巧みなIOC。ほかの団体球技のチームは。予期せぬルール変更に戸惑っていたが。
「1万500人枠」がある以上、登録人数が増えることはない。選手交代枠は95年に3人に増え、新型コロナ禍以降は5人に増えた。それでも、IOCはかたくなだ。今後も「18人+バックアップ4人」の形は変わらないはず。いくら特別扱いをしているといえ、サッカーはあくまでも五輪競技の中1つだからだ。
とはいえ、他の国際大会では考えられない中2日の6連戦という強行日程、各クラブの抵抗で難航する選手招集、形ばかりの23歳以下やオーバーエイジ枠……。もはや。五輪サッカーは限界に達しているのではないかとさえ思う。
(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)
荻島弘一
おぎしま・ひろかず/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。