伊東&中村の日本人コンビも守備網に苦戦 数的劣勢のランスに求めたかった“一騎打ち”【コラム】

ストラスブール戦に出場した伊東純也【写真:徳原隆元】
ストラスブール戦に出場した伊東純也【写真:徳原隆元】

前半7分に伊東のクロスから中村がゴールを決めたが…

 フランスのストラスブールは春の到来を思わせる暖かさだった。日が差す時間も長くなり、スタッド・ドゥ・ラ・メノの上空は試合終了のホイッスルが響いた19時でも、まだ明るさが残っている。

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 現地時間4月13日に行われたリーグ・アン第29節ストラスブール対スタッド・ランス。スタッド・ランスは敵地での一戦で前半7分に伊東純也からのアシストを受けて中村敬斗がゴール。先制点を奪取する。

 試合を俯瞰すれば、この中村の得点で均衡が破れたにもかかわらず、両チームともに現代サッカーにおける勝利の生命線となる前線へとボールを運ぶプレースピードを上げることはしなかった。早々に点差がついたが、ストラスブールはしゃかりきに同点ゴールを奪いにいくわけではなく、むしろディフェンス重視で慎重な戦いを続ける。

 対してスタッド・ランスも先制点を奪ったものの、そこから一気に攻め落すようなことをせず、後方でのボール回しからチャンスを伺う、相手の出方を警戒するような展開で試合を進めていった。

 しかし、前半25分を過ぎた頃、試合の流れに転機が訪れる。スタッド・ランス守備陣が自陣ゴール付近でストラスブールの選手の突破に対して、激しいチャージで対応。このプレーにスタンドの大半を占める青と白のストラスブールサポーターたちは、PK獲得を主張する。

 だが、主審がPKスポットを指さすことはなかった。ストラスブールは同点のチャンスを手に入れることはできなかったが、ここから試合の行方を左右する大きな流れを作り出す。ストラスブールの選手が高まった感情を闘志に変えたことによって、試合は一気にヒートアップしていくことになるのだった。

 試合は1対1の局面における戦いで激しさが増し、相手の長所を消す潰し合いの兆候がより強くなり、どの選手もボールをキープすることが難しくなっていく。スタッド・ランスの両翼を担う伊東と中村もさらなる厳しいマークに遭い、敵守備網に風穴を開ける縦への鋭いドリブル突破を見せることができない。

 ただ、2人の日本人プレーヤーは、試合開始から敵陣深くへと切り込むドリブル突破に固執するようなことをせず、ライン際でボールを受けるとマーカーをブロックしながらピッチを横切るように内側へと入って行き、味方へとつなげるパスを選択することが多かった。

 そこから味方とのワンツー・リターンでストラスブールの守備網の突破を試みていた。この伊東、中村の両選手のプレーから察するに、これは相手守備を崩すための、チームとして統一された意識による戦術的な動きだったのだろう。

伊東純也のアシストで中村敬斗がゴールを決めるも逆転負け【写真:徳原隆元】
伊東純也のアシストで中村敬斗がゴールを決めるも逆転負け【写真:徳原隆元】

ランスはストラスブール戦に1-3で黒星

 しかし、それが勝利への道筋を作る作戦だったとしても、状況によってはもっとマッチアップした相手との抜く、守るの一騎打ちの勝負に賭けても良かったのではないだろうか。だが、そうした場面でも、特に伊東は代名詞となっている鋭いドリブル突破を、期待していたほど見せることはなかった。背番号7の日本人選手には、二重、三重の守備網を敷く相手に手を焼き、先制点のアシスト以外は全体的に精彩を欠いた印象を受けた。

 スタッド・ランスは前半のうちに退場者を出して数的不利になると、試合開始からアウェーチームの動きを警戒し、前半途中からギアを上げたストラスブールのフィールドプレーヤー全員が激しく戦うスタイルに飲み込まれていった。

 伊東は後半17分に選手交代によってプレーを終える。ゴール裏からカメラのファインダーを通して写った、10人になってからのスタッド・ランスは、攻撃の形を作れない苦しい状況が続いた。そうした流れを打開するためには、変化が必要であり前線の選手の交代はウィリアム・スティル監督の冷徹な決断だったと言える。

 中村もなんとか流れを変えようと果敢にストラスブールDF陣とつばぜり合いを演じたが、人海戦術で動きを封じられ後半35分でピッチを去った。終盤は打つ手なしといった状況で、スタッド・ランスは終わってみれば3失点。試合開始早々のゴールに端を発した勢いは、ストラスブールのタイトなプレーによって時間の経過とともに消え、結果と内容で苦い敗戦を経験することになった。

 リーグ終盤を迎え、スタッド・ランスにとって来シーズンの欧州カップ戦出場を実現させるためには、残り5試合となったこれからが正念場となる。

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徳原隆元

とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。

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