元日本代表に「ゼロ円提示」…10針縫う大怪我でも戦った熱血漢、名古屋ユニは「脱げないよ」【コラム】
名古屋へのクラブ愛、ミックスゾーンで見せた振る舞いに衝撃
びっくりした、というのが正直な感想だった。熱血漢だということは分かっていたが、その一方でスマートなプロフェッショナルという印象も持っていたからだ。2013年11月24日、豊田スタジアムで行われたJ1リーグ第32節柏レイソル戦。その週に明らかになった田中隼磨と阿部翔平のいわゆる“ゼロ円提示”は、当時のチームの財政状況とクラブライセンス制度が絡み合った末の苦渋の選択でもあった。
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否が応でも2人に注目が集まる一戦で、スタメン出場を果たした田中は開始早々のピンチに身体を張ったクリアを見せ、左脛をゴールポストに強打。その後、86分間プレーを続けたのだが、実はこの時、脛の骨が見えてしまうくらいの裂傷を負っていた。
驚かされたのは試合後のミックスゾーンで見せた振る舞いだ。報道陣に囲まれ、裂傷の話を向けられると元日本代表戦士は開口一番、こう言った。
「今ロッカーで10針縫ってきました。これは明日の新聞の1面かな(苦笑)」。
弱みを決して見せない彼の浮かべた苦笑いは、どこか誇らしげでもあった。「試合中はテープでぐるぐる巻きにして、ハーフタイムに縫おうと思ったけど、時間がなくてそのままやった」と聞いた報道陣は青ざめ、大丈夫ではない……と二の句が継げない。それを察してか田中は食い気味に、そしてこの上ない熱い気持ちを吐露したのだ。
「大丈夫なわけないでしょう。でもやるしかない。僕がグランパスのユニフォームを着られるのはあと2試合しかないんですから。もう気持ちで何とかしました。痛いけど、痛くて泣きそうだったけど、自分からユニフォームを脱ぐわけにはいかないし、自分から交代したくなかったから。あそこでスライディングしてよかったですよ。しなくて失点してたら後悔する」
失礼な話だが、田中といえばユース時代も過ごした横浜F・マリノスのイメージが強かった。だからこそ、まさかここまでの名古屋への愛着を持っているとは思っていなかった。ゆえに、やや涙声のコメントにはこちらの涙腺も刺激された。
交代後の選手は汗や芝で汚れたユニフォームを練習着などに着替えて試合終了を待つものだが、田中はそのままの恰好で試合終了を待ち、「だって脱げないよ、あとちょっとしか着れないんだもん」と駄々っ子のようなセリフを口にしている。ここまで生の感情を表現する選手は見たことがなく、嘘偽りのない本音に感じてまた泣きそうにもなった。
田中は次節以降の2試合に出場するため、翌週からは雑菌が入るからと抗生剤を飲みながらトレーニングを続け、シーズンフル出場を達成。「監督が使ってくれるんだったら出たい。あと1試合はホームでできるし、悲しくて切ないけど、頑張りたい」という想いを見事に果たし、5シーズンを過ごした名古屋をあとにした。
気迫の86分間を終えサポーターたちとのコミュニケーションに涙
その後、故郷の松本で9シーズンもの長期にわたってチームの顔としてプレーを続け、2022年限りで現役を引退。昨年にはJリーグの功労選手として表彰もされ、名実ともにJリーグのレジェンドの1人となった田中は現在、松本を離れてより広範な活動を始めている。
年末には古巣の名古屋で短期スクールも開催し、10年前と変わらぬキックを披露。参加した小学生たちの中には“名古屋の田中隼磨”を知っているという子どももおり、「皆あの優勝の時も含めて知っててくれている。それはほんとに嬉しい」と笑った田中は、あの頃と変わらぬ熱い気持ちを改めて口にするのだった。
「“名古屋愛”はもうずっと、あの頃からありますよ。ファンやサポーター、こっちではスポンサーの人たちにも支えてもらって、僕自身がほんとに良い思い出を作らせてもらいました。今度、引退して自分ができることって言ったら、やっぱり恩返しすること。こうやって本当に小さな積み重ねかもしれないですけど、この恩返しがグランパスの、この先の優勝だったり、この先にまた強くなっていく何かの一部になれたら嬉しい」
あの頃と変わらぬ田中がそこにいた。もう一度2013年を振り返れば、気迫の86分間を終えた田中は試合後、1人でピッチを1周し、サポーターたちとのコミュニケーションに涙を流していた。
「それは怪我の痛みですよ」と照れを隠し「でも泣いているサポーターを見てアップの時から泣きそうにはなっていた」としみじみ。傷の治療よりも先にサポーターのもとへと足が向いたのは、「気づいたら行ってた。感謝してもしきれないからね、サポーターには」という彼の愛情、絆を重んじる信条が何よりも表れている。
この試合、結果は取って取られてのシーソーゲームから、同じく“戦力外”となっていたダニエルのゴールで劇的勝利。「ダニエルとか僕、阿部ちゃん、こういう選手たちのこういう姿は若手にも見てほしいし、サポーターにも見てほしい。気を抜かずにここまでやっているということを感じ取ってほしい。ミスしてもチームのために戦う。10針縫っても(笑)。自己中心的なプレーをせずに、チームのために戦えば、こうして勝点3が最後についてくる。それは皆の頑張りが報われたことだと思う」と話す田中の顔は清々しさでいっぱいだった。
脛を10針縫ってなおこのアティチュード。1つのプロフェッショナリズムを感じた、強烈な記憶である。
(文中敬称略)
今井雄一朗
いまい・ゆういちろう/1979年生まれ。雑誌社勤務ののち、2015年よりフリーランスに。Jリーグの名古屋グランパスや愛知を中心とした東海地方のサッカー取材をライフワークとする。現在はタグマ!にて『赤鯱新報』(名古屋グランパス応援メディア)を運営し、”現場発”の情報を元にしたコンテンツを届けている。