岡崎慎司が明かした第2の人生での目標「欧州で監督をやりたい」 現役引退を“今”決断した訳【コラム】
膝の負傷による長期間のリハビリ生活…新たな出会いも「今の自分と重なった」
「引退を決意しました。選手として最後まで全力を尽くします。応援よろしくお願いします」
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2月26日にSNSを通して重大な発表をした岡崎慎司(シント=トロイデン)。泥臭く戦い抜いてきた男の引退という突然のニュースには、日本のみならず、世界のサッカー界が衝撃を受けた。
「岡ちゃんの引退? 寂しいね」と長年、日本代表で共闘し、スペイン時代にはお互いの家を行き来しながらトレーニングに励んでいた香川真司(セレッソ大阪)も3月2日の鹿島アントラーズ戦の際、残念そうに語っていた。
「一生ダイビングヘッド」という座右の銘を体現するかのような、ゴールに突き進む勇敢かつアグレッシブな点取り屋はそうそう現れるものではない。PKキッカーでもない男が日本代表50ゴールという数字を叩き出した意味を我々は改めて真摯に受け止める必要があるだろう。
その岡崎だが、昨季終了後の2023年5月、福島・Jヴィレッジで行われたシント=トロイデンのサッカー教室の際には「40歳まで欧州で現役を続けたい」と宣言。同クラブと再契約し、今季もフル稼働するつもりでいた。FWやインサイドハーフとして幅広い仕事をしていた昨季のパフォーマンスを見る限りではまだまだ問題なくイケると思われていた。
しかしながら、ふたを開けてみると、今季は出場機会が激減。シーズン序盤はひざの負傷でまともにプレーできない状況に直面したという。
「自分はこれまでケガをそんなにしてこなかったんですけど、改めて考えたら『手術することもなく、よくここまでやってこられたな』と。それは親に感謝すべきだし、家族もそう。自分の奥さんがずっと欧州で一緒にいてくれて、食事とか気を使ってくれたことはすごく大きかったと思います。だけど、今季に入ってひざが痛くなって少し休むことになったんです。その時にいろいろ考えたんですよ。『このまま俺、どうなるのかな』と。スゴイ弱気になっている自分がいましたね」と11月の取材時に岡崎は正直な思いを吐露していた。
その時点ではまだ「やめる」とは完全に決めていなかったのだろう。本人も「もっと試合出場時間を増やしたい」と語気を強めていた。だが、昨年12月16日のモレンベーク戦以降、再び公式戦から遠ざかってしまった。痛めていたひざの状態が悪化し、長期欠場を余儀なくされたという。タフさと逞しさでここまでやってきた男にとって、ここまで長い、長いリハビリというのはメンタル面のダメージがあまりにも大きかったはずだ。
そんな時、今季師事したトルステン・フィンク監督の経験談が脳裏をよぎったのかもしれない。フィンク監督は現役時代の晩年をバイエルン・ミュンヘンⅡで過ごし、ドイツ代表主将として活躍したフィリップ・ラームら若手と共闘。長年の選手経験を伝え、彼らの成長を手助けしようとしたという。
「現役ラスト2年間にラームら有望な若手と一緒にプレーした話、指導者になって間もない頃にバーゼルで教えた(グラニト・)チャカ(レバークーゼン)が大きく飛躍した話をフィンクから聞かされて、今の自分とすごく重なったんです。『ベテランになった今の経験を今、若い選手たちに還元し、その後は欧州で監督をやりたいな』という気持ちも芽生えてきました」と彼は新たな目標が見つかったことも明かしてくれた。
シント=トロイデンは引退後の環境もベスト…目標となった「監督」
指導者になるならスタートは早い方がいい。それは、ともに代表を戦った内田篤人(JFAロールモデルコーチ)や槙野智章(品川CC監督)も語っていたことだ。
2020年途中に引退した内田はすでにJFA公認S級指導者ライセンス講習会を受講。海外研修を消化すれば、Jリーグで指揮を執れるようになる。槙野にしても2年後くらいには取得できそうな運びだという。
昨季限りで突如として引退し、ガンバ大阪トップチームコーチに転身した遠藤保仁も、やはり同世代の中村俊輔(横浜FCコーチ)や小笠原満男(鹿島アカデミー・テクニカルディレクター)らが後進の指導に当たっている姿を目の当たりにして、「自分も次のステージに突入するなら、古巣・ガンバからいいオファーが来た今しかない」と思ったのではないか。遠藤の場合は大きなケガもなく、まだまだプレーできる状態ではあったが、やはり第2の人生はいつかやってくる。そう割り切って、プレーヤー人生に終止符を打ったはずだ。
欧州でライセンスを取得しようとしている岡崎の場合は、日本国内でライセンス取得している彼らに比べてよりハードルが高い。その国がベルギーなのか、ドイツなのか、イングランドなのかによって事情は異なるが、学ばなければならないのはサッカーの技術・戦術だけでない。その国の文化や哲学、政治、経済など多岐に渡るため、言語含めて乗り越えなければいけないことが少なくないのだ。
これはあくまで推測だが、シント=トロイデンで引退するなら、立石敬之CEOやフィンク監督らを筆頭に、彼の欧州での指導者キャリア形成を言葉の部分含めてサポートしてくれる人々は少なくない。クラブのトップチーム、あるいは下のカテゴリーでコーチになることも不可能ではないだろう。そういった環境面も踏まえると、今、セカンドキャリアに踏み出すのは賢明な選択だ。自分の未来がある程度、明確に見えたからこそ、岡崎はあれほどこだわってきた現役生活に区切りをつけることができたのではないか。
大きな決意を固めた彼は今、リハビリに励んでいるというが、試合に戻れるにしても、シーズン終盤のわずかな時間だけになりそうだ。シント=トロイデンのレギュラーシーズンは3月17日に終了するが、プレーオフ2進出はほぼ確実。となれば、5月下旬まで試合がある。そこまでには何としても回復し、最後の雄姿を多くの人々に焼き付けたいと強く願っているはず。我々も日本最高のストライカーがゴールに突き進む姿勢をぜひとも見たい。そうなるように、岡崎にはベストを尽くしてほしい。
「今の自分は引退に向かっているし、それは嘘じゃない。ただ、延長線上に『監督』というのがあれば、モチベーションも維持できる。引退後の人生を視野に入れて、『今、選手としてやり切ろう』と割り切れたのはすごく大きいですね。試合に絡めない悔しさも含めて、すべてを先に生かしたいと思っています」
岡崎は昨年11月にこんな発言もしていた。その言葉通り、「選手としてやり切った」と思えるラストを飾ることが最優先だ。今は戦えるフィジカルコンディションを取り戻すこと。そこに集中するしかない。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)
元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。