小野伸二は「診断名が分かる」 トレーナーも驚いた天才の一面…「もう厳しいな」で察した引退【インタビュー】

現役ラストゲーム、キャプテンマークを巻きスタメンで出場する小野伸二【写真:(C) mm】
現役ラストゲーム、キャプテンマークを巻きスタメンで出場する小野伸二【写真:(C) mm】

足首の状態は「普通はもうサッカーできないよね、というレベルでした」

 2023年12月3日のJ1最終節・北海道コンサドーレ札幌対浦和レッズ戦、小野伸二はスタメンで現役生活最後のピッチに立っていた。数多くのファンが「もう交代か」と短く感じた22分間。ベンチで見守っていた佐川和寛トレーナーにとってはとても長い時間だったという。加入からラストゲームまで常に寄り添い、ともに戦ってきた北海道コンサドーレ札幌メディカルチームの佐川チーフトレーナーにラストゲームの舞台裏、そして小野の天才ぶりについて話を訊いた。(全2回の2回目)

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   ◇   ◇   ◇

──ラストゲーム当日、試合に入る前の状態はどうでしたか?

「いつもどおりでした」

──現役でやり続けることはメディカルから見てどうですか?

「あの足首だけを見ると、普通はもうサッカーできないよね、というレベルでしたね。あんまり酷くなっちゃうと、サッカーを辞めたあとの日常生活でも支障が出てしまう」

──試合中はベンチで見ておられましたが、どのような思いでしたか?

「とにかく怪我をせずに終えてほしい、という思いだけでしたね。心配でドキドキして見ていたので、とても長く感じましたが、伸二は楽しそうに見えましたね」

現役ラストゲーム、キャプテンとして勝利を求める小野伸二【写真:(C) mm】
現役ラストゲーム、キャプテンとして勝利を求める小野伸二【写真:(C) mm】

──交代のタイミングはいつどう決まったのですか?

「もともと監督と本人の中ではある程度の時間を決めていて、あとは試合展開や伸二の動きを見ながら、最終的にはミシャが決めるという感じだったんです」

──では、予定どおりだったのですか?

「ある程度、予定どおりだったと思います」

──プレー時間は聞いておられましたか?

「相談はされていないです。試合前にこれくらいの時間でいくということは監督と伸二から聞いていました。ただ、最後に決めるのはミシャでした」

──本人が痛みを我慢するかどうかにかかっていたのですか?

「そうですね。天皇杯3回戦(7月12日)に少し出て、それ以来、公式戦に出てないんですよね。それくらい長い期間、試合に出ていなければ、伸二じゃなくても最初の試合は15分~20分くらいなんですよ。最後の試合だからということで伸二が長い時間出ることを期待していた人が多かったようですが、普通に考えたら、それくらいの時間が妥当なんですよね。そうしないと、左足首だけの問題じゃなくて、ほかのところが肉離れすることもあるので」

対戦相手である浦和の選手たちも加わって作られた花道で送られる小野伸二【写真:(C) mm】
対戦相手である浦和の選手たちも加わって作られた花道で送られる小野伸二【写真:(C) mm】

──花道を通ってピッチをあとにされましたが、どういう雰囲気でしたか?

「あれは事前にやろうと決めていたものじゃなかった。伸二に対してみんながお疲れ様と声をかけていってましたね。私は、怪我をせずに終えることができて、すごくホッとして、良かったという思いとお疲れ様という気持ちで握手をしました」

試合出場に向けて調整する小野伸二【写真:(C) mm】
試合出場に向けて調整する小野伸二【写真:(C) mm】

怪我と向き合った天才…「手がかからずにやりやすかった」

──怪我を抱えていた小野選手の様子はどうでしたか?

「早くサッカーをするために、どんなにきついリハビリのメニューでも、何一つ文句も不満も言わずやっていました。こちらが与えたメニューを終えたあとも、『ほかにメニューないの?』と、もっともっと、と言ってきました。1日でも早く復帰したいから、といつも前向きにリハビリをやってくれていましたね」

──すり合わせをしたうえで、リハビリのメニューを組んでもまだ足りないという感じだったのでしょうか?

「伸二の凄いところは怪我をした時に、自分である程度どういう診断名か、それとどういう全治が出るのか、分かるんですよね。『これはこの筋肉の肉離れで、だいたい4週間後の復帰になるよ』と検査をする前に予言のように言ってきて、それが当たるんですよ」

──それも天才的ですね。

「凄いですよ。自分の身体を分かっている。それで、早く復帰するためには何をやればいいか、も数多く怪我をしてきているので分かってるんですよね。だから怪我をして最初に、こういう感じでやっていこう、という話し合いもすごくスムーズですし、手がかからずにやりやすかったです。サッカーをするために努力を惜しまないところは、ほかの選手の何倍も凄かったです」

──ラストゲームは、選手みんなが「伸二さんのために」と勝利を目指してすごく走っていましたが、選手たちの試合後の身体の様子はどうでしたか?

「最終戦なのでケアはしてないんですけど、かなり多くの選手たちの足がつっていました。勝ちたい気持ちが強かったと思います。GPSでの走行距離やスプリント回数も多かったです」

──近くで見られていて、ミシャ監督と小野選手の関係はどう思われていましたか?

「ものすごい信頼関係ですよ。ミシャさんが試合でどういう戦いをしたらいいかを考える時に、結構、伸二に相談をしたり、伸二からの助言をもらったりしていました。それくらい信頼関係はありましたね」

ラストゲーム前日、ミシャ監督と話す小野伸二【写真:(C) mm】
ラストゲーム前日、ミシャ監督と話す小野伸二【写真:(C) mm】

──印象深い、小野選手の姿は?

「僕の中では天皇杯(2023年6月7日天皇杯2回戦/厚別/3-0の後半42分に小野伸二が交代で入り、シーズン公式戦初出場を果たした)で終盤に数分出たんですけど、試合後に、『ちょっともう佐川さん、これ厳しいな』ということを言ってきた姿です。その時に引退を察しました」

──それを聞いてどう思われましたか?

「これから先は難しいのかな、と感じ始めました。本人も十分、感じていたと思うんですけど、じゃあ、そこから何をしてあげられるかを考えた時に、メディカル的にも医学的にも難しい状況だったので、なんとも言えない気持ちになりましたね」

──ラストゲームのあと、話す機会はありましたか?

「いいえ。ラストゲームはどうだったのか、機会があれば、伸二に聞いてみたいなと思っているんです。また現役に戻りたいんじゃないかなっていうくらい、今いろんなところでサッカーをやっている(笑)」

──楽しそうですよね(笑)。

「楽しそうですよね(笑)」

ラストゲーム後の小野伸二とミシャ監督。互いをリスペクトする深い絆の2人【写真:(C) mm】
ラストゲーム後の小野伸二とミシャ監督。互いをリスペクトする深い絆の2人【写真:(C) mm】

伸二の素晴らしいプレーの記憶を──ミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)

 ミシャ監督は試合の前日にこんなことを話していた。

「彼が引退するということは選手としてのピークは過ぎているなかで引退という決断をしたのだと思う。そういうなかで彼がどんなプレーをするか、見に来る方々は期待していると思う。選手としてのベストの時期を過ぎて、明日の試合にスタートから出たら、そのプレーが長くなればなるほど、みなさんの記憶の伸二とは違うものがあるかもしれない。

選手に声をかける佐川チーフトレーナー【写真提供:北海道コンサドーレ札幌】
選手に声をかける佐川チーフトレーナー【写真提供:北海道コンサドーレ札幌】

私自身もみなさんも伸二も、選手としての思い出を決して壊したくないというのもあるし、みなさんの伸二の素晴らしいプレーの記憶を良いまま終わってほしいという思いもある。だからこそ、どれだけの時間プレーするかは大事ではなくて、彼が試合に出て、みなさんに現役最後の姿を観てもらうことが大事だと思っている」

[プロフィール]
佐川和寛(さがわ・かずひろ)/北海道コンサドーレ札幌チーフトレーナー。1976年10月7日生まれ。埼玉県大宮市出身。学生時代は野球に打ち込みつつ腰痛に悩まされ、トレーナーに支えてもらった自身の経験から、選手に寄り添うトレーナーを志す。専門学校卒業後、1999年にセレッソ大阪でトレーナーとしてのキャリアをスタートさせ、2002年から北海道コンサドーレ札幌のトレーナーを務める。

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