佐野海舟が驚嘆した中村憲剛コーチの金言「できていなかった」 サバイバル合宿で芽生えた覚悟「生き残っていけない」【コラム】
内田篤人&中村憲剛ロールモデルコーチが合宿に同行中
佐野海舟はちょっとした違和感を覚えながら、千葉市内で行われている日本代表合宿に参加していた。自身の誕生日である12月30日にサッカーをしている記憶が、プロになった2019年以降は1度もなかったからだ。
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鳥取県の強豪・米子北の主力として3年連続で全国高校サッカー選手権大会に出場し、すべて初戦を突破して越年した高校時代以来となる感覚に、23歳になったばかりのボランチは思わず苦笑した。
「あまり誕生日という感じがしないですね。普段はいつも休んでいたので、すごく貴重だと思っています」
大きな飛躍を遂げた1年が終わろうとしている。高校卒業後から4シーズンにわたってプレーしたJ2のFC町田ゼルビアから、国内外でJリーグ最多の20個のタイトルを獲得している鹿島アントラーズへ移籍。常勝軍団でもボランチの定位置を奪い取り、ストロングポイントだと自負するボール奪取力を存分に発揮した。
この活躍が日本代表を率いる森保一監督の目にも留まる。怪我で辞退した伊藤敦樹(浦和レッズ)に代わる形だったが、11月シリーズで初めて日の丸を背負った佐野は、同16日のミャンマー代表とのワールドカップ(W杯)アジア2次予選初戦(パナソニックスタジアム吹田)の後半開始から途中出場。このときもトップ下で先発し、ゴールも決めていた鎌田大地(ラツィオ)が腰痛を訴え、プレー続行が不可能になったなかでのスクランブル出場だった。
「個人としては日本代表に入れた、というのがありましたけど、所属チームではタイトルを取れなかったので。チームは違いますけど、今は代表で勝利に貢献できる選手になっていければと思っています」
2度目の招集となった代表活動で、新たな気付きを得た。森保監督の要請を受けて、内田篤人氏とともに合宿に参加している日本サッカー協会(JFA)のロールモデルコーチ、中村憲剛氏の言葉に驚かされた。川崎フロンターレのボランチやトップ下で一時代を築いたレジェンドの金言を、佐野はこう明かしている。
「ピッチ上で首を振る、情報を得るという作業を、息を吸うようにやっていたと言われました。ボランチとしては本当に必要なところだと思うので、まずは意識しながらやっていって、そこから無意識に変えていけるようにできたら。自分としてあまりそこはできていなかったので、自分の武器としてどんどん吸収していけたら」
ピッチ上で可能な限り360度に近い視野を保ち、そこから得られるさまざまな情報を同時にインプット。味方だけでなく敵の位置やそれぞれの特徴などを見極め、次のプレーに関して、パスコースを含めたベストの選択を瞬時に下す。川崎で「止める、蹴る」を極めた憲剛氏は同時に、状況把握能力や判断力にも長けていた。
「自分の武器はやはり守備力だと思っていますけど、そういった攻撃の部分でも違いを出していかなきゃ代表には生き残っていけない。ただ、自分は今までも本当にコツコツとやってきたので、そうしたところはぶれることなく、自分の課題といったものに日々向き合ってやり続けていきたいですね」
鹿島での1年目は怪我で戦列を離れた時期もあったなかで、初めて臨んだJ1リーグで27試合に出場し、9月2日の湘南ベルマーレ戦では初ゴールも挙げた。しかし、リーグ戦で5位に終わった鹿島は、国内三大タイトルに限れば屈辱の7シーズン連続無冠に終わり、最終節翌日の今月4日に岩政大樹監督が退任した。
町田時代に師事したポポヴィッチ監督との再会…佐野の胸中は?
チームはシーズンオフに入ったが、鹿島は揺れ続けた。迎えた21日に来シーズンの新指揮官として、町田前監督のランコ・ポポヴィッチ氏の就任が決まったと発表された。パスを繋ぐ攻撃的なサッカーを志向するセルビア出身のポポヴィッチ氏は日本での指導経験も豊富ながら、J1での最高成績はFC東京時代の2013シーズンの8位。鹿島の再建を託すうえで大丈夫なのか、といった声がファン・サポーターの間ですぐに飛び交った。
加えて佐野は昨夏にオーバートレーニング症候群を発症し、後半戦をすべて欠場している。ボランチとしての佐野を高く評価したポポヴィッチ監督は、自身が就任した2020シーズンから高卒2年目のホープを重用。病魔に襲われた昨シーズンも、佐野は開幕から20試合連続で先発フル出場を続けていた。
ポポヴィッチ監督の就任に伴って会見した、鹿島の吉岡宗重フットボールダイレクター(FD)へも新監督と佐野の関係を問う質問が飛んだ。吉岡FDは「佐野とも2回ほど話をした」と明かしたうえでこう語っている。
「ポポヴィッチ監督の指導が要因だったというよりは、ほかにいろいろな要因があったと聞いています。佐野自身が戦術をよく分かっている監督でもありますし、ポポヴィッチ監督も『自分が求める理想のボランチ像は佐野だ』と言っている。2人の関係は問題ないし、佐野がより力を発揮しやすい環境になると思っています」
この日のメディア対応でも、来シーズンの鹿島でポポヴィッチ監督と再会を果たす胸中が問われた。佐野は「いや、別に……」と切り出すと、1人のプロサッカー選手として、特に驚いてはいないと強調した。
「そこにあまり干渉することはないですね。僕が監督を決められる立場でもないですし、選手である以上は、やっぱり与えられた立場でプレーするしかないので。なので、やるだけです」
大晦日には全国高校サッカー選手権大会に出場している母校の米子北が、埼玉県の強豪・昌平と2回戦で激突する。元日のタイ代表との国際親善試合へ向けた前日公式練習とほぼ重複するだけに、「(試合は)見られないと思いますけど……」と苦笑した佐野は、2024年へ向けた抱負を込めてこんな言葉を残している。
「今は目の前のタイ戦だけを考えていますし、いままでやってきたことをしっかりと出していくことが必要だと思っています。まだまだ(代表で)余裕を作れていないのは事実なので、しっかりともがいて、頑張っていくしかない。自分もしっかり(後輩たちに)刺激を与えられるように頑張ります」
タイ戦を終えた直後には、12日に開幕する4年に1度の大陸選手権、アジアカップに臨む森保ジャパンが発表される。戦いの舞台を東京・国立競技場から中東カタールへ変えて、3大会ぶりの王座奪回に挑むメンバーの一角にまずは名を連ねる。そして帰国後には新生・鹿島の心臓として、2月下旬に開幕する来シーズンでタイトル奪回を目指す。2023年を上回る軌跡を描くための戦いが、成長途上の佐野を待っている。
藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。