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「今思えばヒデの様子は変だった」 ドイツW杯戦士が明かすジーコジャパン時代「三笘と遜色ないドリブラー」【インタビュー】
元日本代表GK土肥洋一氏が回想「シーズン中のW杯開催だったら俊は無双していた」
2022年に開催されたカタール・ワールドカップ(W杯)で日本代表はドイツとスペインの優勝経験を持つ2か国から白星を挙げ、ベスト16に進出。三笘薫(ブライトン)や久保建英(レアル・ソシエダ)、冨安健洋(アーセナル)など各ポジションに欧州クラブで活躍するトップタレントを擁して躍進を遂げた。一方、このカタールW杯を戦ったチームにも引けを取らないほどの豪華なタレントが揃いながら、結果を残せなかったのが2006年のドイツW杯だ。ジーコ監督が率いたサムライブルーはオーストラリア、クロアチア、ブラジルと同居したグループリーグで1勝も挙げることができず、無念の敗退を味わった。本大会の登録メンバーの1人だった元日本代表GK土肥洋一氏に、このドイツW杯やジーコジャパンで印象的だった選手を振り返ってもらった。(取材・文=石川遼/全4回の3回目)
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◇ ◇ ◇
ジーコジャパンは発足当時から中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一の4人が中盤で組む“黄金のカルテット”が注目を集めるなど、強烈な個性を持った選手が揃うチームだった。個に頼りすぎて戦術がないとの批判があったのも確かだが、タレントの質は招集メンバーの大半が欧州組となった現代の日本代表にも引けを取らないものだった。
2018年から2023年までJ2レノファ山口でGKコーチを務め、来季も指導者として活動継続のため現在クラブを探している土肥氏はそんなジーコジャパンの常連の1人で、ドイツW杯本大会のメンバーにも名を連ねた。グループリーグで1分2敗と惨敗に終わった大会のことを振り返り、真っ先に口にしたのは10番を背負った中村のことだった。
中村のシュート練習の相手を務めていた土肥氏は、もしも日本の10番が万全の状態だったら日本代表はドイツでさらに勝ち進むことができたと感じていたという。
「俊はいつも練習のあとに残ってフリーキック(FK)練習をしていました。その相手をしていたのが僕です。俊にとっては代表が家じゃないけど、ホッとできる場所になっているんだと思っていました。でも、それと同時に代表に来るたびに風邪を引いていたり、咳をしていたり、いつもどこか体調が悪そうでドイツW杯の時もそうでした。もしあの時、俊が最高の状態だったら誰も止められなかったんじゃないかな。シーズンが終わったタイミングって選手としてはどうしても気が抜ける部分はあると思います。もちろんW杯に向けて気を張っていたはずですけど、身体がそこまで保たなかった。だからドイツW杯があの時期じゃなくて、この間のカタールW杯みたいにシーズン中の開催だったら俊は無双していたんじゃないかなと思います」
直前のテストマッチで開催国ドイツを相手に2-2の接戦を演じるなど本大会に向けて視界良好だったが、このドイツ戦にピークを持っていってしまったことが敗因として、のちに語られることになる。近くで中村を見ていた土肥氏は「ドイツ戦がピークでそこから段々と落ちていってしまった。『これいけるんじゃないか』という雰囲気のなか、その後は合宿で缶詰状態になって息抜きもなかった」と停滞の原因を分析していた。
電撃引退の中田に起きた異変「最後のブラジル戦は明らかにおかしかった」
ドイツW杯で日本の敗退が決まったグループリーグ第3節のブラジル戦(1-4)のあとには、長らく日本サッカー界をけん引してきた中田英寿が現役引退を表明した。
日本は前半34分にFW玉田圭司のゴールで先制したが、その1点がブラジルに火をつけた。前半終了間際にFWロナウドに同点ゴールを許すと、後半8分、14分と立て続けに失点。終了間際にはロナウドにトドメのミドルシュートを叩き込まれ、終わってみれば1-4の完敗だった。
相当の決意を持って試合に臨んでいたからなのだろう。この日の中田は試合前から普段とは別人のようだったと土肥氏は舞台裏での様子を明かす。
「ヒデはそこで引退することを決めていたからなのか、最後のブラジル戦は明らかにおかしかったですよ。試合前、ジーコとはいつも以上に喋っていましたし、ブラジルのメンバーを見て、『これなら行けるぞ!』って普段はしないような声掛けをみんなにしていました。今思えばヒデの様子は変だったなと思います。(同点にされたあと)能活にあれだけ怒っていたのも、本当にあの試合に懸けていたからこそだったんでしょうね」
タレント揃いのジーコジャパンで「本当に調子が良かったのは…」
今から20年近くも前で、選手の欧州移籍も今ほど当たり前ではなかった時代だが、ジーコジャパンには黄金のカルテット以外にも優れたタレントが多く揃っていた。土肥氏は「とてつもない個が揃ったチームでしたよ。もし今の時代にいたら、もっと多くの選手が海外で活躍していたと思う」と語る。
「例えば、ドイツW杯で本当に調子が良かったのは誰だったのかといえば、間違いなく(小笠原)満男でしたよね。ジーコはヒデや俊輔、フク(福西崇史)を使っていて、組み合わせの問題もあったんでしょうけど、イナ(稲本潤一)も調子は良かった」
小笠原はドイツW杯初戦のオーストラリア戦では出番がなかったが、第2戦のクロアチア戦と第3戦のブラジル戦には先発出場。稲本もブラジル戦で先発フル出場した。2人ともレギュラーを張るだけの十分な実力があった。
また、FW久保竜彦のように期待されながらドイツW杯メンバーには入れなかった選手にも実力者が揃っていた。そういった選手のなかで土肥氏が「三笘薫と遜色ないドリブラー」と称した選手がいる。鹿島アントラーズでプレーしていた本山雅志だ。個で局面を打開する能力に関して、並ぶものはなく、大きな舞台での活躍を見たかったと話す。
「三笘選手は欧州で活躍している実績があってもちろん凄いですが、全盛期のモトのドリブルも誰も止められなかった。淡々とプレーしていたけど、衝撃的でしたよ」
W杯で結果を残すことこそできなかったが、ジーコジャパンは歴代で最も夢と希望にあふれた日本代表チームだったと言っても過言ではなかったかもしれない。
[プロフィール]
土肥洋一(どい・よういち)/1973年7月25日生まれ、熊本県出身。大津高―日立製作所/柏レイソル―FC東京―東京ヴェルディ。日本代表通算4試合、J1通算341試合、J2通算97試合、JFL通算15試合出場。2004年にナビスコカップMVP、Jリーグベストイレブンを受賞。2000年から06年までJリーグ216試合連続出場記録(当時)を打ち立てた。06年ドイツW杯でメンバー入り。第一線で長年活躍し、12年シーズン限りで現役引退。13年から東京Vの育成GKコーチやトップチームGKコーチを歴任。U-18日本代表GKコーチも務め、18年から23年までレノファ山口FCのトップチームGKコーチも務めた。
(石川 遼 / Ryo Ishikawa)