2011年11月W杯予選、平壌での真実は? “停戦中”の現実と危機感の過剰報道【コラム】
2011年、平壌でのW杯予選・日本×北朝鮮は記者6人とカメラマン4人のみが取材承認
来年、日本代表だけではなく、なでしこジャパン(日本女子代表)も対戦することになった朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)だが、日本との国交はない。
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果たして、北朝鮮のホームゲームは首都・平壌で開催されるのか。11月に開催予定だったワールドカップ(W杯)アジア2次予選の北朝鮮対シリアはサウジアラビア開催に変更されたため、第3国での開催となる可能性も出てきた。関係者によると、「11月は外国人の受け入れ態勢が間に合わなかったから」だという。
今年、北朝鮮サッカー協会関係者にインタビューした際には「多くのファンを受け入れたい」と語っていた。そうなら2011年11月15日に開催されたブラジルW杯アジア3次予選の時のように、ファンが平壌での試合を観戦できる可能性がある。
ただし、北朝鮮はほかのどんな国とも違う。
例えば、イスラムの国では「ラマダン」と呼ばれる断食期間になると、日中は飲食できない。ただし、それは人の目がある時の場合。電気はつけていなくてもスーパーは営業しているし、水を買って、隠して持って帰って部屋で飲むことはできる。
イランの首都テヘランに行った時は、女性は必ずスカーフを頭に巻かなければならなかったし、報道陣であっても性別で座る場所が厳しく区別されていた。だが、北朝鮮の制限に比べれば「その程度」だ。
北朝鮮はそんなレベルではない。特に現在は「停戦中」という、あくまで戦時下であることを忘れてはいけない。そのため行動にはいろいろな制限が付きまとう。
2011年、運良く平壌での取材を許された記者6人のうちの1人として経験したことを伝えておきたい。そして来年、平壌を訪問する際の参考にしていただければと思う。
電子機器は空港で回収、どこに行くにも団体行動
■1.)スマートフォンやGPS付きの電子機器は空港で預かられる。GPSが付いていると、いろいろな場所の正確な座標が測定できて爆撃の際に使われるからだと思われる。
もっとも、さまざまな個人情報が入っているスマートフォンを預けるのは、空港でデータを抜かれる心配をしてためらう人もいるはずだ。その場合は北朝鮮に入る前の都市でロッカーに入れておくか、あるいは日本に置いておくかということにしたほうがいい。
私は空港で預ける前に、スマートフォンに仕掛けをした。パスワードを9回間違えておくと、もう一度間違っただけですべてのデータが消えてしまう仕組みを使って、もう間違えられない状態にしておいたのだ。戻ってきた電話にはそのままデータが残っていたので、情報は抜かれなかったか、抜く価値もないと思われたか、どちらかだろう。
■2.)どこに行くにしても団体行動が基本となる。入国した時からすべて全員一緒に行動することが基本で、例えば「まだ書かなければいけない原稿があるから部屋にいたい」というのは許されなかった。懇親会は全員参加。終わるとすぐに部屋へ直行。ほかの客と会うことはなかった。
試合前は市内観光に出かける。原稿の準備で部屋にいることはできない。泊まっているホテルの近くのスタジアムを見たいと言ったのだが、そこはやんわりと拒否された。ただし、食事のメニューは選ぶことができる。平壌と言えば冷麺発祥の地と言われており、昼食に冷麺を勧められたが、敢えて別のメニューを頼んだところ、不思議がられたが受けてくれた。
■3.)現地に着いたらすべて係員が同行する。2011年は記者6人、カメラマン4人の取材陣に対してガイドが5人。どこに行くにも15人揃っての移動になった。懇親会もこのメンバーで行う。夜中にロビーに下りてくると、ガイドの数名はロビーに座っていた。ホテルの廊下には常に警備員らしい係が常駐していた。
ちなみに彼らは日本語を完璧に理解している。理由を聞くと平壌大学の日本語学科だということだったが、ニュアンスも含めてアップデートされていた。食事の時、おいしいホッケを食べて、つい「これ、ヤバイ」と言ったところ、笑顔で「喜んでいただいてありがとうございます」と返ってきた。今考えると、「ヤバイ」が「傷んでいる」の意味で取られていたら、とても失礼なことになっていただろう。
試合後、豪華な記者室で原稿を書いているとガイドがやって来てパソコンの画面をのぞき込んでいた。特に通信社の3人に対しては2人がしっかりうしろから原稿を読んでいる。どんな記事が配信されるのか、事前にチェックしておこうということだろう。
2泊3日の間に「危ない」「怖い」と思う出来事はなし
■4.)写真には2つの点で要注意だった。日本のサポーターはカメラを空港で預けなければならなかったが、報道陣に対しては「市内のどこを撮影してもいい」と言われた。ただし1つだけ要望された内容がある。それは「街中にある肖像画を撮影する時には正面からきちんと撮る」こと。「必要ならばバスを止めて撮影してもらいます」と、最大限の注意を払わなければならなかった。
さらに通信社のカメラマンは出発間際に撮影内容をチェックされて、不許可として消去されたデータがあった。もっともカメラマンは事態を予測していたのか、平然と消去に応じていた。
■5.)そのほか、出発前には「1フロアに1人ずつ泊まる」「部屋に大きな鏡がたくさんあって向こう側から監視されている」「盗聴されている」などいろいろな噂話があった。
1フロアには複数人の報道陣が泊まった。部屋には確かに大きな鏡があったものの、その後ろは寝室と浴室を分けている壁だったので人が隠れる隙間はなかった。盗撮や盗聴は分からないが、どう見てもサッカーにしか興味のない人間の情報を仕入れても、きっと使い道はなかっただろう。せいぜい日本代表の先発予想を手に入れたぐらいだったはずだ。
ここまで不安にさせる項目を5つ挙げてきたが、実際は2泊3日の間に「危ない」「怖い」と思うことはなかった。何か起きると大きな問題になるので、監視はむしろ私たちが何か起こさないか、あるいは私たちに何か起きることを未然に防いでいたのだと思う。ただし、旅行保険には入れなかったので、事故などには十分気を付けたほうがいい。
ホテルの窓から見る街の灯は暗かった。戦時下ということで光量を落としているのかもしれないし、電力不足なのかもしれない。ただ、そこに息づいている人たちは確実にいて、トローリーバスに並ぶ人たちの姿なども見ることができた。鮮やかな色の服を着ている女性を見かけられたことは、彼我の違いを埋める気持ちにさせてくれた。
森 雅史
もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。