中村敬斗、「走れない、守れない、戦えない」の烙印から「戦えるアタッカー」への変貌 欧州を渡り歩き遂げた飛躍【コラム】

スタッド・ランスで活躍する中村敬斗【写真:Getty Images】
スタッド・ランスで活躍する中村敬斗【写真:Getty Images】

9月に日本代表で2ゴール、クラブではリーグ・アン初得点

「(代表で結果を出して)なんか入る感覚がある」

 9月17日のリーグ・アン第5節ブレスト戦。4-3-3の左FWで先発し、記念すべきフランス初アシストを記録した後、スタッド・ランスに所属する中村敬斗は目を輝かせた。

 ご存知の通り、彼は日本代表として臨んだ直前12日のトルコ戦(ゲンク)で2ゴールという強烈なインパクトを残した。出場は前半45分のみでそれ以外の仕事らしい仕事はしていないが、3月のウルグアイ戦(東京・国立)での初キャップからわずか3試合で3ゴールというのはそうそうできることではない。

「点の取れる左サイドアタッカー」は所属先でもゴールの予感を高めていたのである。

 それが現実になったのが、9月26日のリール戦の前半16分だった。右で何本かパスがつながり、チームメイトの伊東純也が背負ってキープ。中盤から上がってきたマーシャル・ミュネツィにつながり、彼がペナルティエリアまで運んだ瞬間、背番号17をつける男がフリーで駆け上がった。次の瞬間、ボールを受け、冷静に1枚かわして右足ループをお見舞いする。これが見事にネットを揺らしたのである。

「メチャクチャ嬉しい。今夜は眠れそうもない」と本人は語ったと報じられているが、本当に願い続けた瞬間が訪れたのだから、その思いも頷ける。こうやってストレートに感情を表現するのが彼の魅力。周りを嬉しくさせる一挙手一投足を含めて、スター性は抜群なのだ。

 今や伊東純也と「イケメン・ウイングコンビ」を結成する中村だが、2018年に三菱養和SCからガンバ大阪入りした頃は波が大きい選手だった。当時の宮本恒靖監督(現JFA専務理事)に「走れない、守れない、戦えない」と烙印を押され、U-23チームに落とされ、鍛え直される苦悩の日々も経験している。

 2019年U-20ワールドカップ(W杯)ポーランド大会出場をきっかけに、欧州複数クラブからオファーを受け、同年夏にオランダ1部トゥウェンテへ。加入直後は9試合先発3ゴールと快進撃を見せ、端正なルックス含めて大いに注目を集めた。だが、10月から試合に出られなくなるとそのままシーズンが終了。「早く世界トップに上り詰めたい」という野心が強かった彼は2020年夏にベルギー1部シント=トロイデンへ赴いた。

 しかし、そこでも出番を得られない日々が続いた。同クラブの立石敬之CEOは「今の若い選手に共通することかもしれないけど、『25歳までにビッククラブへ行かないと成功できない』といった危機感が強すぎるのかな。そのせいか、辛抱強くポジションを勝ち取ることをしない。そうなると結局、移籍を繰り返すことになりがち。誰もが自分を評価してくれるわけではないから『この監督は自分に何を求めているか』を常に把握し、それを出せるように努力する必要がある。敬斗にもそういう話はしました」と語ったが、若かった本人はその意見を素直に受け入れず、2021年1月にオーストリア2部のジュニアーズに移籍するという大きな決断を下した。

「中村敬斗がオーストリア2部?」という疑問を日本サッカー関係者の多くが抱いたはずだ。だが、彼はLACKリンツの育成クラブであるこの環境で本気で出直そうと決意したから、欧州5大リーグから遠い国に行ったのだろう。

 サッカー人生を賭けた覚悟と勇気がプラスに働き、LASKリンツで実績を残した中村敬斗は2年後の2023年には第2次森保ジャパンの初陣メンバーに初招集。そこからコンスタントに名を連ね、今年夏には念願だった5大リーグのフランス行きも勝ち取った。想像以上の回り道をしたかもしれないが、彼は彼なりにじっくりと自分自身を見つめ直し、何をすべきかを考え続け、ここまで辿り着いたのである。

フランスで発揮する中村敬斗の成長 「貢献していければ自分の価値は上がってくる」

 今の中村敬斗を見ていると「走れない、守れない、戦えない」と評されていたかつての姿はどこにもない。直近10月1日のオリンピック・リヨン戦を見ていても、格上の相手ということでスタッド・ランスは守勢を強いられる時間が長かったが、彼は粘り強く守備に行き、献身的な姿勢を前面に押し出していたのだ。

 2試合連続ゴールも期待されていたが、なかなかチャンスらしいチャンスは巡ってこない。それでもブレることなく激しく相手に寄せに行き、危ない場面を未然に防ぎ、数少ないゴールへの道筋を探っていた。そういう粘り強さは10代の彼からはあまり感じられなかった部分。欧州各国を転々とし、タフさを増したことで、中村敬斗は本当の意味で「戦えるアタッカー」に変貌したと言ってよさそうだ。

「まずしっかりチームの試合にスタメンで出続けて、必要な結果を残したいと思っています。でも個人の結果だけに執着せず、チームの勝利のために走って戦うとか、守備のセカンドボールとか、いろんな要素があるので、そこで少しでも貢献していければ、自分の価値は自然と上がってくる。大前提として『チームのために』って僕は考えています。ゴールは本当に運だと思っている。入る日入らない日があるし、ラッキーで神様が見ていて入る時もあるし。またいい行いをすることが大事ですね」

 笑顔でこんな話もしていた中村敬斗。言葉通りの仕事を体現していれば、必ずゴールやアシストという結果もついてくる。フランスで爪痕を残していれば、三笘薫(ブライトン)とは違った価値を代表でもたらせるだろうし、伊東純也の第2のパートナーとして森保一監督からも認められるはずだ。

 さまざまな意味で期待感しかない23歳の成長著しいアタッカーの一挙手一投足が本当に楽しみ。今はこの男から目が離せない。

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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