選手として共闘 鳥栖スタッフが回想するF・トーレスの魅力…「スペインではあり得ない」と日本を好んだ点は?【インタビュー】

元スペイン代表FWトーレス氏(左)と現役時代の高橋義希氏【写真提供:(C)S.D.CO.,LTD.】
元スペイン代表FWトーレス氏(左)と現役時代の高橋義希氏【写真提供:(C)S.D.CO.,LTD.】

鳥栖で16年間プレーした高橋義希SROが称えた元スペイン代表FWトーレスの人間性

 Jリーグの歴史を語るうえで、外国籍選手の存在は欠かせない。プレーヤーとしての実力はもちろんのこと、日本の生活や文化に馴染もうと努め、活躍につなげた例は多い。「FOOTBALL ZONE」では、「外国籍選手×日本文化」の特集を組むなかで、サガン鳥栖で計16年間プレーし、引退後はサガン・リレーションズ・オフィサーを務める高橋義希氏に記憶に残る外国籍選手を直撃。まずは、世界的ストライカーの元スペイン代表FWフェルナンド・トーレス(現アトレティコ・マドリード・フベニールA監督)について訊いた。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小田智史/全2回の1回目)

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 2004~09年、12~21年に在籍した鳥栖の一員としてJリーグ通算477試合に出場した高橋氏。2018年7月に加入した元スペイン代表FWトーレスのインパクトは、やはり大きかったという。

「サガン鳥栖に在籍している選手たちにもすごく緊張感がありました。『このクラブのために来た』『このクラブが僕に来てほしいという熱意が伝わったし、自分のすべてを捧げたい』と。世界的なスター選手なのに、そう言ってくれたのは嬉しかったです」

 スペイン1部アトレティコ・マドリード、イングランド1部リバプールとチェルシー、イタリア1部ACミランとビッグクラブでプレーし、2010年の南アフリカ・ワールドカップ(W杯)で優勝するなどスペイン代表としても計38ゴールを挙げたストライカーは、どのようなキャラクターだったのか。

「サガン鳥栖に来る前は、もうスターの中のスターですし、FWなので、少しわがままというか、エゴがあるイメージがありましたが、サガン鳥栖のことをすごくリスペクトしてくれていて、実際に一緒に生活する中でそれはまったく感じませんでした。プレーの中での要求はもちろんありましたけど、それはチームのやり方に合わせたなかでの要求で、トレーニングに取り組む姿には感銘を受けました。ファンサービスの時もフェルナンド1人いるだけで、たくさんのファンの方が集まっていました。遠征先で警備をつけたりしないといけないくらい、人気は凄かったですね。すごく大変だったと思いますけど、文句1つ言わず、ファン1人1人と向き合って、対応していた姿は印象的でした」

 トーレスは2018、19年と約1年半、鳥栖の一員としてプレーしたが、異国の地で新たなチームに溶け込むにあたっては、ある選手の存在が手助けになっていたと高橋氏は振り返る。

「スペイン語を話せる加藤(恒平)がいたのもフェルナンドにとって大きかった気がします。加藤とずっと一緒にいましたから。(スペイン語を)話せるのはいいなって(笑)。フェルナンドは英語でも会話できたので、権田(修一/現・清水エスパルス)とも結構話していましたね。フェルナンドにとっても、加藤と権田にとっても、プラスだったと思います」

「日本食をよく食べていた」(高橋氏)というトーレスは、愛する家族と頻繁に日本国内を旅行していた。高橋氏によれば、日本人の国民性に好印象を抱いていたという。

「スペインではあり得ないような生活ができる、と。おそらくリバプールでもそうだったと思うんですけど、普通に自転車で子供を送っていくことなんてあり得えない。さすがに頻繁に電車に乗っていたわけではないと思いますが(笑)、日本の人はたとえ気付いたとしても、プライベートだからと気を遣ってくれる。握手とか写真のお願いも、『もし良ければ』という姿勢で、日本の文化は素晴らしいと話していました」

鳥栖時代のトーレス氏【写真:安藤 隆】
鳥栖時代のトーレス氏【写真:安藤 隆】

トーレスからかけられた「君を中心にやっていかなければいけない」の言葉

 トーレスはJ1リーグ計35試合(5得点)、ルヴァンカップ計2試合、天皇杯3試合(2得点)に出場したなかで、「一番思い出に残っているゲーム」に、J1残留が懸かるなかで決勝ゴールを決めた2018年のホーム最終戦(11月23日の第33節横浜F・マリノス戦/2-1)を挙げた高橋氏。世界的ストライカーから、エールをもらったことも印象深いと話す。

「フェルナンドとはよくコミュニケーションを取らせてもらったなかで、個人的に嬉しかったのは、『君がチームの真のキャプテンなんだから、君を中心にやっていかなければいけない』と言葉をもらったことです。あと、彼が(2019年に)引退を決めた時、みんなに伝える前に教えていただいていました。正直、彼が引退することはショックでした。すべての思いを聞いたわけではないですが、このタイミングで引退するなかで、『サガン鳥栖に来て本当に良かった』と言ってくれて嬉しかったし、最後に日本で引退することを選んでくれたのは良かったなと思います」

 1997年に創設された鳥栖の歴史の中で、「フェルナンド・トーレス」は最大のスーパースターと言っていい。クラブ理念である「人づくり・まちづくり・夢づくり」を実現し、クラブの存在価値を高めるべく、サガン・リレーションズ・オフィサーとして活動を続ける高橋氏は、トーレスの存在や人間性も後世に伝えていきたいと語る。

「フェルナンドがサガン鳥栖に来たこと、そしてサガン鳥栖、日本のクラブで引退したことは大きな出来事だったと思います。ヨーロッパやアメリカ、アジアなどからたくさんのオファーがあったと言われるなかで、日本を選んでくれて、日本へのリスペクトをすごく感じました。トイレの清潔さとか、お店のスタッフさんの接客態度とか、日本人の素晴らしさを含めていろんなことを感じたと思います。フェルナンドを一言で言うと、人間性が素晴らしい。日本での得点数は決して多くなかったかもしれませんけど、一緒にプレーするなかで彼の凄さを、そして世界を肌で感じることができたというだけでも大きかった。プレーはもちろん、フェルナンドのようにサッカー選手になっても人間性がしっかりしないと上まで行けないというのは、これからのサガン鳥栖や子供たちにも伝え続けていきたいです」

 世界的ストライカーのトーレスがプレーしたクラブとして、彼から学んだことを鳥栖は今後のさらなる発展につなげていく。

(文中敬称略)

[プロフィール]
高橋義希(たかはし・よしき)/1985年5月14日生まれ、長野県出身。鳥栖―仙台―鳥栖。J1通算268試合6得点、J2通算242試合20得点。ハードワークを厭わず、攻守でチームを支えた不屈のボランチ。2006年には20歳の若さでキャプテンを任されるなど、鳥栖のハート&ソウルとして長年チームを支えた。2021年限りで現役を引退し、22年1月からサガン・リレーションズ・オフィサーとして活動する。

(FOOTBALL ZONE編集部・小田智史 / Tomofumi Oda)



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