遅刻常習犯、流浪人、W杯優勝選手… ユニークさに富んだ歴代ブラジル人選手ランキング【コラム】

バレー(左)とエメルソン【写真:Getty Images】
バレー(左)とエメルソン【写真:Getty Images】

【後編】日本人を楽しませてくれた選手:1位~5位に負けないユニークな選手がズラリ

 これまで多くのブラジル人選手が来日してJリーグを盛り上げた。888人は全外国籍選手のうち過半数を占める。ところがブラジル人選手が多いと、ちょっと困ったことが起きる。

 それは、ブラジル人選手は登録名があだ名ということだ。そのため、何人も同じ名前のプレーヤーがいる。最も多かったのは「アンデルソン」「ダニエル」「チアゴ」「レアンドロ」の7人。外国籍選手枠がもっと多かったら攻撃陣全員レアンドロなんてことができたのに、と思うとちょっと残念だ。

 それ以外にも、いろいろな面でファンを楽しませてくれたブラジル人選手は多かった。もちろんプレーが素晴らしい選手はたくさんいた。各賞に輝くだけではなく、Jリーガーでありながらブラジル代表に選ばれる選手もいたのだ。

 得点王やMVPに選ばれたことのないブラジル代表選手だけでも、ジーコ、レオナルド、ジーニョ、ジルマール、サンパイオ、シーラス、フッキ、ミューレルらがいるし、最近でもアレックス・サンターナ、ボルジェス、チアゴ・ネービィスがいる。代表に呼ばれなかった選手としてはアマラオなども愛されている。

 だがピッチ以外でいろいろあった選手も、ファンの心に残り続けているのではないだろうか。私見で「日本人を楽しませてくれた」選手たちの順位を、前回に引き続きカウントアップする。前編では4位にフッキ、5位にウィルを選んだが、ここから先は負けず劣らずユニークな選手たちが並んでいる。

エメルソンは常に話題の中心

■6位:エメルソン(札幌:2000年/川崎:01年/浦和:01~05年)

 2000年から05年までの6年間、毎年必ず話題になったのがエメルソンだった。まず2000年、J2のコンサドーレ札幌にやってくると、瞬間移動を感じさせるほど爆発的なスピードが話題になった。2001年、J2の川崎フロンターレに移籍すると18試合出場で19点を挙げるという異次元の活躍を見せる。

 だが1シーズン持たなかった。活躍できなかったのではなく、遅刻などの問題行動が多かったのだ。それでも能力を認めた浦和レッズが2001年8月に獲得する。浦和でも2004年は26試合に出場し27得点と、紛れもない実力者であることは示した。

 ただし、エメルソンが一番話題になったのはシーズン中ではない。毎シーズン前だった。ブラジルから来日する日程が決まらない。年齢詐称し公文書が偽造された関係だという報道もあり、とにかく毎年「エメルソンは来るのか?」という、なかなかほかの選手では考えられない話題が続いた。

 結局2005年、家族の事情でブラジルに帰国していたはずが、そのままカタールに渡って日本を去ることになった。5年半の間、ピッチ外での話題を提供し続けてくれた珍しい外国籍選手だった。

■7位:バレー(大宮:2001年/甲府:05~06年/G大阪:07~08年/清水:13年)

 2001年、J2の大宮アルディージャにやってきた時は、190センチの巨躯を生かしてゴールを狙う不器用な選手だと思われていた。しかもこれがプロデビュー、異例のC契約ということで、期待値はさほど大きくなかったと言えるだろう。

 2002年は外国籍選手枠に押し出されて海外のクラブを転々とするが、2003年に再びJ2の大宮に戻ってくると大爆発。43試合で22ゴールを挙げ、2004年も41試合で15得点と活躍し、大宮のJ1昇格に貢献した。

 ところがここで大宮からJ2のヴァンフォーレ甲府に移籍し、2005年は甲府に初のJ1昇格をもたらした。柏レイソルとのJ1・J2入れ替え戦ではアウェーの第2戦でダブルハットトリックと、これまでの入れ替え戦での最多得点記録を作っている。

 その後2007年にガンバ大阪に移籍したあと、2008年8月からはアラブ首長国連邦(UAE)、カタールへと渡り、2013年には清水エスパルス入りして3度目の来日。さらに中国リーグを経て、2015年には甲府に2度目の加入をするという、「あれ? この前海外移籍したのに?」と、出たり入ったりがとても多い選手だった。

■8位:バロン(市原:1999~2000年/清水:01~02年/C大阪:03年/甲府:04年/鹿島:04年/仙台:05年/神戸:06年/福岡:06年)

 清水エスパルス時代には試合途中に頭部から出血し、包帯を巻いてピッチに戻った次のプレーがヘディングだったという、非常に気合いが入ったプレーを見せられる選手だった。

 1999年にジェフユナイテッド市原にやってくると2年間で30ゴールを挙げ、2001年に清水に移籍。1年目こそ15ゴールを挙げてそこそこの成績を残し、2002年1月1日の天皇杯決勝では決勝ゴールを決めて優勝に貢献した。

 だが2002年、6ゴールと低迷するとそこから流転生活が始まる。2003年はセレッソ大阪、2004年の7月まではヴァンフォーレ甲府、残りのシーズンは鹿島アントラーズ、2005年はベガルタ仙台でプレーし、契約終了後はチームが決まらない。

 3月になってやっとJ2のヴィッセル神戸に入団することが決まったが、6月にはJ1のアビスパ福岡へと移籍する。つまり、見るたびに着ているユニフォームが変わっていて、「顔は知っているけど今はどこの所属?」という、記憶力を試してくる選手だった。

ベベットはJリーグの目玉選手になるはずがまさかの不発

■9位:ベベット(鹿島:2000年)

 1994年のアメリカ・ワールドカップ(W杯)で、PK戦の末に優勝を果たしたブラジル代表には傑出したストライカーが2人いた。1人は唯我独尊のロマーリオ。そしてもう1人が細身でテクニシャンのベベットだった。1998年のフランスW杯でもベベットは活躍し、準々決勝のデンマーク戦では10分に同点ゴールを決めて逆転劇の口火を切るなど、まだまだ選手として一流であるところを見せつけた。

 そのフランスW杯からわずか2年後、それまでジョルジーニョ、レオナルドというブラジル代表選手たちが次元の違うプレーを見せてきた鹿島に、今度はベベットが加入するということで、チームのみならずJリーグの目玉選手になるはずだった。

 だが、結果は8試合出場で1ゴール。試合中、チームメイトが監督にベベットを交代させるよう大声で訴えている場面なども目撃されており、上手くいかなかったのは明らかだった。よもやあの名選手が上手くいかないなんて……という驚きをもたらしてくれた選手だ。

■10位:アモローゾ(V川崎:1992~93年)

 正確に言えば、日本にいる時に楽しませてくれた選手ではない。なぜなら1992年から1993年までヴェルディ川崎に所属していた間は1試合も出番がなかったからだ。それでも「サテライトチームに凄い選手がいる」という評判だけは立っていた。

 日本を離れたアモローゾは一度母国に戻ったものの、1996-97シーズンから1998-99シーズンはウディネーゼ(イタリア)、1999-2000シーズンから2000-01シーズンはパルマ(イタリア)、2001-02シーズンから2003-04シーズンはボルシア・ドルトムント(ドイツ)でプレーする。

 そして1998-99シーズンはセリエAで、2001-02シーズンはブンデスリーガで得点王に輝いた。そんな選手が日本にいたのに1試合も出場できないなんて……と、アモローゾの活躍のニュースが伝わってくるたびに、Jリーグファンはいぶかしがったことだろう。Jリーグのミステリーの1つである。

(森雅史 / Masafumi Mori)



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森 雅史

もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。

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