元Jリーガーのミキッチが日本を愛した理由 トイレから感じた“ジャパニーズ文化”と心持とは?【インタビュー】

かつて広島などで活躍をしたミハエル・ミキッチ氏【写真:Getty Images】
かつて広島などで活躍をしたミハエル・ミキッチ氏【写真:Getty Images】

好きな日本食は寿司、うどん、天ぷら 日本のトイレは「心持ちと文化を表している」

 Jリーグの歴史を語るうえで、外国籍選手の存在は欠かせない。プレーヤーとしての実力はもちろんのこと、日本の生活や文化に馴染もうと努め、活躍につなげた例は多い。「FOOTBALL ZONE」では、「外国籍選手×日本文化」の特集を組むなかで、サンフレッチェ広島で9年、湘南ベルマーレで1年プレーし、多くの人々に愛されたクロアチア人MFミハエル・ミキッチ氏にJリーグでの日々を振り返ってもらった。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小田智史、通訳=塚田貴志)

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 クロアチアの名門ディナモ・ザグレブ、ドイツのカイザースラウテルンなどでプレーしたのち、2009年1月に完全移籍で広島に加入したミキッチ氏。並外れた走力と豊富な運動量で右サイドを制圧し、2012、13、15年と広島のリーグ優勝に貢献した。18年にも湘南でルヴァンカップのタイトルも獲得するなど、Jリーグ史に名を残す“優良外国籍選手”の1人だ。

 来日するまでヨーロッパで29年間を過ごしたミキッチだが、日本、そしてJリーグの優れた環境のおかげで、新たな生活にもスムーズにアジャストすることができたと振り返る。

「私はサッカーをするために日本へ来ました。今思い返してみても、Jリーグのオーガナイズや、クラブハウスの素晴らしさも世界トップクラス。サッカーが素晴らしいレベルで行われていたので、サッカー以外の生活に慣れるのに時間もかかりませんでしたし、日本の街、文化、日本食も好きになりました。最初からお気に入りだったのは、鉄板焼き、寿司、うどん、やきとり。日本で過ごしていくうちに好きになったのは天ぷらで、最初から最後まで食べられなかったのは納豆です(笑)。(鼻をつまむ仕草をしながら)納豆は匂いがダメでした」

 ミキッチ氏が生まれたクロアチアは紛争が激しかった国。整備されたインフラや安全性のほか、日本人の人間性には感銘を受けたという。

「日本に10年間いるなかで、日本の方や文化にたくさん触れました。ほかの人に対するリスペクト、相手のことを思う心は世界が見習うべき点です。一番素晴らしいと感じました。例えば、トイレの清潔さも日本人の良さを表している1つだと思います。どんな仕事でも責任感を持って、それぞれが自分の責任を果たす。日本のトイレを見れば、日本人の心持ちと文化がよく分かるはずです」

現在はスロベニア1部マリボルで指導者として研鑽を摘む【写真:本人提供】
現在はスロベニア1部マリボルで指導者として研鑽を摘む【写真:本人提供】

日本と欧州のファンの違いとは?

 妻や子供たちを含めてミキッチ家は広島の街を気に入り、広島市内で姿を目にするファン・サポーターも多かったという。常に全力プレーを見せることにこだわり続け、多くの人に愛されたミキッチ氏は、日本でのキャリアにおいて忘れられない瞬間があるという。

「私が広島を去る時、サポーターの方々に挨拶したんですが、大きな声援と愛情を注いでくれました。その光景は一生忘れません。そして、湘南に移籍して、広島と対戦した時、サポーターのみなさんが再び私に見せてくれたリスペクトと愛情は、私のキャリアの中で一番思い出に残っていることです」

 日本のファンの印象について尋ねると、ミキッチ氏は「間違いなくヨーロッパのファンとは違います」と切り出した。

「ヨーロッパの場合は、選手にサインをねだったり、ユニフォームをねだったり、何かをお願いすることは当たり前なところがあります。でも日本では逆に、選手に差し入れたプレゼントを持ってくることに、驚きました。そして、ヨーロッパはすべての試合で勝たなければ許さないというファンが多いのに対して、日本はより現実的だと思います。勝敗は自分たちだけでなく、相手がいることなので、自分たちが力を出し切ったとしても勝てないこともある。日本のサポーターの方はそれを分かっています。私はその考え方もすごく好きです。自分たち選手が100%出しているのかどうかを見ているのが日本のサポーター。明らかに手を抜いていたとしたら日本のサポーターの方も満足されないし、時には厳しい言葉を投げかけることはあるかもしれません。でも、全力を出し切って負けた時に、日本のサポーターの方から厳しいことを言われた経験はないです」

インタビューに答えるミハエル・ミキッチ氏【※画像はスクリーンショットです】
インタビューに答えるミハエル・ミキッチ氏【※画像はスクリーンショットです】

 2019年4月に現役引退後、U-21クロアチア代表U-21のアシスタントコーチを皮切りに、古巣ディナモ・ザグレブのトップチームコーチを経て、現在はスロベニア1部マリボルでアシスタントコーチを務めるミキッチ氏。指導者としてのキャリアをスタートさせた理由は、日本と関係があるという。

「なぜ私が指導者のキャリアをスタートさせたかというと、『指導者として日本に戻りたい』という思いが大きいです。だからこそヨーロッパで指導者としての腕を磨き、必ず日本に戻りたいと思います。すでにUEFAプロライセンスを取っていますし、いつでも日本で監督をする準備はできています。日本での生活、日本のサポーターの方との接点がほとんどなくてすごく寂しいですが、みなさんと1日でも早く再会できることを望んでいます。今、私が日本にいないのは、少し“休憩”しているだけです。また日本に帰って、日本でいい仕事を続けていきたいです。待っていてください」

 笑顔で日本に“凱旋”することを誓ったミキッチ氏。Jリーグでの10年間の経験は、指導者としてのセカンドキャリアにもきっと役立つはずだ。

[プロフィール]
ミハエル・ミキッチ/1980年1月6日生まれ、クロアチア出身。インケル・ザプレシッチ―ディナモ・ザグレブ(ともにクロアチア)―カイザースラウテルン(ドイツ)―リエカ―ディナモ・ザグレブ(ともにクロアチア)―広島―湘南。J1通算227試合8得点。現役時代はスピードと持久力を生かし、サイドアタッカーとして活躍。2009~17年まで在籍した広島では3度のJ1リーグ優勝に貢献し、クラブの外国籍選手史上最長となる在籍の記録を持つ。広島発祥のパン屋「アンデルセン」や、広島の知る人ぞ知るピザハウス「ピッツァリーヴァ」を「マイキッチン」と呼ぶなど、心から広島を、そして日本を愛した。

(FOOTBALL ZONE編集部・小田智史 / Tomofumi Oda)



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