元名古屋Jリーガー、ピクシー政権下を回顧 伝説の3戦連続弾→まさかの先発落ち理由「いまだに分からない」

名古屋在籍時の磯村亮太氏【写真:Getty Images】
名古屋在籍時の磯村亮太氏【写真:Getty Images】

【元プロサッカー選手の転身録】磯村亮太(名古屋、新潟、長崎、栃木)最終回:現役時代の「四方山話」を紹介

 世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生を懸けて戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「FOOTBALL ZONE」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。

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 今回の「転身録」は名古屋グランパスのアカデミーからトップ昇格、その後アルビレックス新潟、V・ファーレン長崎、栃木SCを経て2022年限りで現役を引退し、株式会社マイナビでアスリートたちの就労支援に携わる磯村亮太。最終回では、現役時代のいわゆる「四方山話」をいくつかご紹介する。

 尊敬する先輩のこと、衝撃的だった出来事、あるいは痛恨事。地道な努力を積み重ねることでプロになり、一本立ちしていった苦労人タイプだけに、そのエピソードにはなかなか趣深いものもある。こうした経験を“後輩”となるアスリートたちに伝え、道しるべとしていくこともまた、磯村が望む自らのセカンドキャリアなのかもしれない。(取材・文=今井雄一朗)

   ◇   ◇   ◇

 磯村に現役時代のエピソードを聞いていると、監督にまつわる話が多いのが特徴的だ。それは2016年、降格危機にあった名古屋が敢行した土壇場での監督交代が原体験であるように思える。

「やっぱり監督の力って凄いんだなって見せつけられました」

 当時の小倉隆史監督兼GMからドラガン・ストイコビッチ監督体制におけるヘッドコーチだったボスコ・ジュロブスキー監督へのスイッチでチームは劇的に変わり、最終節まで残留を争うことができた。結果的に降格を免れず「それでは意味はないと言われるんですけど」という磯村だが、それから6年間の選手生活の中で、彼の“監督”という人々への興味は人一倍のものへと変わったようだ。

「ボスコさんは凄いなって思いましたよ。あれだけバラバラだったチームをあそこまでガラッと変えられるなんて。『ピッチでプレーするのは選手たち』ってよく言いいますけど、あれを経験すると、『いや、監督でしょ』って思ってしまう。

試合に対してそれぞれのやれることを比べたら、監督のほうが絶対に大きいし、何より速い。選手たちだけでやっていくのは時間がかかるんですよ。日本代表みたいなチームだったら違うかもしれないですけど、クラブレベルだとそうはいかない。

ボスコさんに変わった時も志向スタイルをポゼッション型に変えたといっても、そこまで練習してないですから。やり方をパパパッと伝えたレベルで、あそこまで変わったのはびっくりでした。おそらく、選手もみんな最初『これで大丈夫か』と思っていたと思う。これで試合に挑んで大丈夫か、みたいに」

かつて名古屋のコーチ、監督を務めたボスコ・ジュロブスキー氏【写真:Getty Images】
かつて名古屋のコーチ、監督を務めたボスコ・ジュロブスキー氏【写真:Getty Images】

練習禁止の掟破り、ピクシーの目を盗んでトレーニング

 その後は名古屋で風間八宏監督、新潟で呂比須ワグナー監督、鈴木政一監督、長崎で高木琢也監督、手倉森誠監督と錚々たる指揮官たちの下でプレーしたが、「面白かった」と言うエピソードの中には今季のJリーグと重ね合わせると興味深いものもあった。それが2020年当時、長崎でプレーした際に起きたコーチ陣のリニューアルだ。

「2019年の途中で監督が手倉森さんになったんですけど、そのシーズンは監督が交代しただけだったんです。でも次の2020年は、コーチ陣に吉田孝行さん(現ヴィッセル神戸監督)と原崎政人さん(現大宮アルディージャ監督)の2人が来たんですね。そこからめちゃくちゃチームが変わったんです。

2人の考え方はすごく面白くて印象深かったです。例えば2対1の状況をどうやって作っていくのかも理論的に指導していて。自分がサッカーをやるうえでも新鮮な出来事でした」

 磯村が感じた彼らのエッセンスは今季の神戸、あるいは大宮でも発揮され、サポーターや観戦する人々に同様の「面白さ」を感じさせてくれるかもしれない。

 黄金期の名古屋に在籍していた磯村の監督エピソードとしては、やはり“ピクシー”ことストイコビッチ監督に触れないわけにはいかない。シーズン中に激しいトレーニングを行わないことで有名だったストイコビッチ体制は、怪我防止の観点から居残り練習を基本的に禁じていた。

 しかし主力は毎週末の試合でしっかり身体に負荷がかかる一方で、若手たちはどうしても練習不足になりがち。そこで若手時代の磯村たちは、指揮官の目を盗んで地道な練習を積んでいたという。

「隠れてやってましたね(笑)。本当に練習時間も短かくて、最初のアップが終わり戦術練習に入ったら、20人ぐらいの選手しかその練習はやらないんです。新人の僕らはコートの外で見ていて、そのうち交代で入るのかなと思っていたら、『練習終わっちゃった!』みたいなこともよくありました。

だから見つからないように練習場の裏にある坂道に行って走ったり、近くの公園に行ってボールを蹴ったりとかしてました。ユースの練習に出ることも考えたんですが、それすら監督に知られると怒られそうで。僕ではないんですが、それが見つかって怒られた選手がいたらしくて、これはもう絶対ダメなやつだと(笑)。

ジムの筋トレだけは許されていたんですけどそれさえも『あまりやらないように』という考え方。でもグラウンドが使えないからボールは使えないし隠れて公園に行っても当然、土のグラウンド。あとはプールに行ったりぐらいですかね。今思えばよくあそこから続けられていたなと(笑)」

3試合連続ゴールからまさかの…2011年シーズンの謎事件を回想

 リーグ戦初出場を果たしたピクシー政権時代の2011年シーズンにはあとにも語り継がれる3試合連続ゴールという記録も残した。シーズン終了後には日本代表にも選ばれたなか、この記録の中には知る人ぞ知る謎もある。

 誰もが4試合連続なるかと期待を寄せるなか、アウェーのベガルタ仙台戦に臨むスタメンの中に「磯村亮太」の名前はなし。出番を得たのは後半44分。あえなく記録達成はならなかった。当時の報道陣の中でもさまざまな憶測が飛び交ったスタメン落ちの真相は、実は磯村自身も謎のままらしい。

「いまだに分からないんです(笑)。ただ1つ思い当たる節があり……その週の頭に僕は髪を切っていたんです。それに対してボスコさんがなぜかものすごく怒りまして。ゲン担ぎなのか『こんな時に何で切ったんだ!』と。僕も最初は冗談で言っていると思ったのでニコニコしてたら、さらにめちゃくちゃのガチで怒られた(笑)。

スタメン落ちはさすがにそれが原因じゃないとは思いますけどね。4試合目の相手の仙台はその時調子が良かったんですよ。しかもアウェーだったのでちょっと1回メンバーを変えようって思ったんじゃないのかな……と、誰かが言ってました。試合にはブルゾ(イゴル・ブルザノビッチ)が出て、僕の出場時間はアディショナルタイムの1~2分とか。あれは謎でしたね」

 そもそも連続得点の1点目を記録した大宮アルディージャ戦のスタメンすら、試合直前に知らされていたという。ストイコビッチ監督は練習中にそうした“匂わせ”を一切見せず、当日のミーティングでスタメンの書かれた紙を貼って選手たちに伝える。

「一気に心拍数上がりましたよ。スタメン発表の紙を見た瞬間に」。パフォーマンス自体は全然良くなかったと語る磯村だが、そこで得点を決めて3試合続けてゴールを決め続けて日本代表招集まで行くあたり、なかなかに“持っている”男だった。

(文中敬称略)

[プロフィール]
磯村亮太(いそむら・りょうた)/1991年3月16日生まれ、愛知県出身。Jリーグ通算189試合8得点。名古屋グランパスU-15、U-18を経て2009年にトップ昇格。8年半の在籍期間中にはJ1リーグ制覇(10年)や日本代表への初招集(12年)も経験した。17年以降はアルビレックス新潟、V・ファーレン長崎、栃木SCと渡り歩き、昨シーズン限りで現役引退。現在は(株)マイナビでアスリートたちの就労支援に携わる。

(今井雄一朗 / Yuichiro Imai)



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今井雄一朗

いまい・ゆういちろう/1979年生まれ。雑誌社勤務ののち、2015年よりフリーランスに。Jリーグの名古屋グランパスや愛知を中心とした東海地方のサッカー取材をライフワークとする。現在はタグマ!にて『赤鯱新報』(名古屋グランパス応援メディア)を運営し、”現場発”の情報を元にしたコンテンツを届けている。

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