マンCが実践する「偽CB」 偽9番、偽SBに続くポジションの越境による「プラス1の論理」の系譜とは?

シティで偽CBとして活躍するジョン・ストーンズ(左)【写真:ロイター】
シティで偽CBとして活躍するジョン・ストーンズ(左)【写真:ロイター】

【識者コラム】画期的だったベッケンバウアーの“プラス1” 「リベロ」が世界的に有名に

 マンチェスター・シティは、センターバック(CB)ジョン・ストーンズを攻撃時に中盤に上げるようになった。少し前はサイドバック(SB)がボランチの位置へ来ていたのだが、最近はCBを上げている。

 ジョゼップ・グアルディオラ監督は毎年のように新しいことをする。ただ、攻撃時に中盤を厚くしたいという理由は一貫していて、CBのボランチ兼任はFCバルセロナ時代にすでにセルヒオ・ブスケッツでやっていた。

 必ずウイングを張らせて相手のディフェンスラインをピン止めする。そしてディフェンスラインから手前に数的優位を作る。バルセロナ時代のリオネル・メッシ(現パリ・サンジェルマン)による「偽9番」に始まって、「偽SB」そして「偽CB」となったわけだが動機は同じだ。

 ポジションの越境によるプラス1のアイデアはかなり昔からあった。

 1970年代のフランツ・ベッケンバウアーによるプラス1は当時としては画期的。守備の最後尾で味方をカバーする役割だった「リベロ」が、その名のとおり自由人になったのはベッケンバウアーからだ。今でいうところのボランチの位置へ上がって組み立て、さらに前進してラストパスやシュートまでフィールドの縦軸を支配するスタイルは多くの模倣者を生み出している。ベッケンバウアー以前にもオーストリアのエルンスト・ハッペルなどの事例はあったが、世界的に「リベロ」を有名にしたのはベッケンバウアーだった。

「偽9番」の最高峰はディ・ステファノ、“プラス1”が機能するかどうかは選手次第

 逆方向からのプラス1はさらに古い。センターフォワード(CF)が下りて中盤に数的優位を作る「偽9番」は、1940年代に強力だったリーベルプレートのアドルフォ・ペデルネーラが元祖と言われているが、これもそれ以前にすでにそういうCFはいたようだ。「ブンダーチーム」として有名な1930年代のオーストリア代表のCFマティアス・シンデラーは引き気味の技巧派だったという。

 リーベルでペデルネーラからポジションを奪ったアルフレード・ディ・ステファノは「偽9番」の最高峰として知られている。コロンビアのミジョナリオスを経て、スペインでレアル・マドリードの黄金時代を築いた。ほぼ同時期にハンガリー代表のヒデグチ・ナンドールも「マジック・マジャール」のCFとして「偽9番」だった。

 ウイングのMF化の先駆者は1958年ワールドカップに優勝したブラジル代表のマリオ・ザガロだろう。左サイドを前線から中盤にかけて幅広く動く、当時としては新種のウイングプレーヤーである。その後、4-4-2のサイドハーフや3-5-2のウイングバックにつながる原型と言える。

 昔からプラス1のアイデアはいろいろとあったわけだが、機能するかどうかは選手のクオリティー次第。ベッケンバウアーはもともとMFで、ユース時代はCFだった。「偽9番」のペデルネーラとヒデグチはインサイドフォワード、現在のインサイドハーフやトップ下の選手だ。グアルディオラ監督が「偽SB」として起用したダビド・アラバ(現レアル・マドリード)はオーストリア代表ではMFで、ダニエル・アウベスはサンパウロで10番を着けていたようにやはりMFとしての能力が高かった。

 プロ選手のほとんどは少年時代にはアタッカーなので攻撃型へのシフトは比較的容易なのかもしれないが、単にポジションを動かす以上の意味をつけられる資質はプラス1戦術の最重要ポイントである。

(西部謙司 / Kenji Nishibe)



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西部謙司

にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。

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