サポーターとの一致団結が柏を救った 監督が示した勝利渇望への“意欲”…今季J1初勝利のチームが見せたアグレッシブな姿
【カメラマンの目】鹿島相手にホームで初勝利、ネルシーニョ監督が一貫する勝利への渇望
いまから25年ほど前の1998年の話。J1柏レイソルのネルシーニョ監督が、当時ブラジル1部サンパウロFCの指揮を執っていた時にインタビューをしたことがある。
【PR】ABEMA de DAZN、明治安田J1リーグの試合を毎節2試合無料生中継!
場所はサンパウロFCのトレーニング施設。同州のライバルチームであるパルイメラスの練習場がすぐ隣にあり、報道陣にとっては取材をはしごできるこのサンパウロFCの施設内の一室だった。開口一番ネルシーニョ監督は冗談交じりに「ギャラはあるのか?」と尋ねてきたが、こちらが「ないよ」と答えると笑ってインタビューに応じてくれた。
ネルシーニョ監督にとって90年代はコリンチャンスやパルメイラス、そしてサンパウロFCとサンパウロ州の強豪クラブの監督を次々と務め、指導者として全盛期にあり、その発する言葉も自信に満ち勢いがあった。
すべては勝利のために。
ネルシーニョ監督がインタビューで重ねた言葉のなかに出てきた一言である。勝利に向かって全力を尽くすのは、サッカーの指導者として当然の行為である。それでも当時のネルシーニョ監督は、常に勝利が宿命付けられているブラジルの強豪クラブの指揮官の座に就いていたこともあり、勝利への思いもひと際強かったのだろう。そうした指揮官としてのあるべき姿勢がこちらにも伝わり、四半世紀が経った今でもこの言葉が強く印象に残っている。
話は現在に戻る。4月9日、J1リーグも第7節を迎え、柏はホームの三協フロンテア柏スタジアムで鹿島アントラーズと対戦した。柏はここまでリーグ戦で未勝利、ゴールも直近4試合で無得点と低空飛行が続く苦境のなかにあった。
スタンドを埋める柏サポーターからも試合前にはネルシーニョ監督に勝利を求める横断幕が掲げられ、勝点「3」獲得への渇望が高まっていた。ただ、試合が始まるとサポーターは未勝利に対しての思いの丈を不満という形ではなく、その正反対へとベクトルを向ける。この試合ではチームに奮起を促そうと懸命に声援を送り、常に選手たちを支える仲間であり続けた。
スタンドからの圧倒的な声援に、柏はゴールで応える。前半32分にエースの細谷真大がゴールをマーク。序盤は守備に奔走する時間が長かった柏だが、細谷のゴールから徐々にペースを握ると、中盤でのパス交換から一気に前線へとボールを運ぶスピードに乗った攻めを展開していく。
後半は戸嶋祥郎らMF陣が豊富な運動量で中盤を支え、マテウス・サヴィオの狙い澄ましたスルーパスや三丸拡の攻撃参加からチャンスを作ってスタンドを沸かせた。守備面でも立田悠悟と古賀太陽のセンターバックコンビが鹿島の攻撃を跳ね返し、今季初出場となったGK松本健太の好セーブもあって無失点に抑え切る。待望の初勝利を挙げたのだった。
90分が過ぎるとカメラのファインダーに写る柏の指揮官は、何度も視線を腕時計に向けていたが、彼の監督人生のなかでも今回のアディショナルタイムの4分は実に長く感じられたに違いない。
スタンドのファン・サポーターの応援が後押し、歓喜の三協フロンテア柏スタジアム
ネルシーニョ監督は試合後の記者会見で選手たちが今日の試合の重要性を理解し、なんとしても勝つという思いが強かったと語った。結果が出ていない状況では、精神的に弱気にもなり戦う姿勢を示すのは簡単なことではない。だが、ホームチームの選手たちは1対1の局地戦での勝負に激しさを見せるなど、実にアグレッシブに戦っていた。
柏の老獪なブラジル人監督の特徴は、選手の感情を刺激し高揚させ、チームを戦う集団へと導く人心掌握術に長けているところにある。選手たちも豊富な指導経験を持つ指揮官の言動を聞き入れ、苦しい状況のなかでも高いモチベーションを維持し、その前向きに戦う姿勢が勝利へとつながった。
ネルシーニョ監督はこの勝利は7試合での1勝に過ぎないと言いながらも、実に価値のあるものだとも語った。確かに対鹿島戦は、選手たちが持てる力をすべて出し切った結果の勝利だったと言える。サポーターも選手たちと勝利を喜び合い、試合後のスタジアムの雰囲気は痛快に跳ねていた。
試合前には新戦力として日本でのプレー経験があるブエノの加入も発表された。ブラジル人パワーDFの加入は、守備陣のさらなる強化につながることだろう。
すべては勝利のために。ピッチで激しくファイトした選手たち。ベンチから懸命に指示を出したコーチングスタッフ。そしてスタンドから声援を送り続けたサポーターと、柏にとってはまさにすべてが一丸となって手にした勝利だった。指揮官の言葉どおり、柏にとってこの1勝は今後のリーグ、カップ戦に向けてチーム好転のきっかけとなり得る、価値ある勝利となった。
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。