悲願のJ1優勝達成の先に見る進化の形 水沼宏太が「今までの自分を超えたい」理由

5チームを渡り歩き唯一無二のキャリアを作り上げた水沼宏太【(C) 1992 Y.MARINOS】
5チームを渡り歩き唯一無二のキャリアを作り上げた水沼宏太【(C) 1992 Y.MARINOS】

【連載BEYOND|File.4】出戻った横浜F・マリノスで遂げたJ1優勝の背景

 Jリーグ今季開幕から早くも1か月あまりが経過し、各地で熱戦の数々が繰り広げられている(DAZNでは明治安田生命J1、J2、J3リーグの全試合をライブ中継)。「FOOTBALL ZONE」では「BEYOND(~を越えて)」をテーマに、現役選手には挑み続けていることや超えたいと思う目標、OB・OG選手には新たな分野での目標や挑戦について直撃する連載企画をスタート。最終回は、昨季の自身初J1優勝を経て、さらなる進化を目指す水沼宏太(横浜F・マリノス)(文=藤井雅彦)

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 水沼宏太には、試合前の儀式がある。

 ロッカールーム内のベンチに腰掛け、ユニフォームをじっと見つめる。左胸には横浜F・マリノスのエンブレムが輝いている。数秒間、時が止まったようにピクリとも動かない。すると不思議なことに、胸の鼓動が自分でもわかるほど伝わってくる。

「いつもユニフォームと向き合ってから着ています。自分はF・マリノスの選手なんだ、って実感できる瞬間だから。感謝の気持ちを持たないといけないと感じますし、ものすごくワクワクしてきます」

 2007年にユース所属選手として、ひと足先にプロデビューを果たし、翌08年にトップチーム昇格。世代別代表で活躍していた実績からも、前途洋々のキャリアを歩んでいくかに思えた。

 しかしながら、実力者揃いの名門クラブでなかなかピッチに立つチャンスを得られない。出場機会を求めて移籍を決断したのは、プロ入りから2年半が経った10年夏のこと。「あのままF・マリノスにいたら、選手として絶対に終わってしまうと思った」という一大決心で栃木SCへ期限付き移籍。それからサガン鳥栖、FC東京、セレッソ大阪と渡り歩き、プロサッカー選手としてのキャリアを築き上げてきた。

 20年から出戻りの形で横浜F・マリノスに再び所属している。一念発起の復帰には、明確な決め手があった。前年の19年に久しぶりのリーグタイトルを獲得したチャンピオンチームからのオファーだからこそ、胸を張って受け入れられた。

「プロになってから、ずっと所属チームの優勝を目指してやってきました。ルヴァンカップと天皇杯はセレッソの一員として優勝できたけど、やっぱりJリーグで優勝したかった。F・マリノスは優勝を目指す、連覇を目指す、さらにはACL優勝を目指すために、自分を必要としてくれた。僕は優勝するために、F・マリノスを優勝させるために決断したんです」

J1優勝や日本代表選出を経験し、数字の重要性を改めて実感したという【写真:窪田 亮】
J1優勝や日本代表選出を経験し、数字の重要性を改めて実感したという【写真:窪田 亮】

水沼が価値を置く「その手前にどれだけ効果的に関われるか」

 悲願は再加入3年目の22年に成就する。

 シーズン序盤から上位争いを続け、中盤戦以降は川崎フロンターレとの一騎打ちに。優勝に王手をかけた状況でガンバ大阪とジュビロ磐田に2連敗を喫して冷や汗を流したものの、最終節のヴィッセル神戸戦をしっかり勝ち切って3シーズンぶりの栄冠を手にした。

 メディアは中心選手の1人としてピッチ内外で存在感を発揮し、ベストイレブンにも選ばれた背番号18をこぞって取り上げる。32歳にしてA代表初キャップを刻んだエピソードも、優勝に花を添えた。

「結果を残すことは誰の目からも見える価値。プロ選手である以上、常に追い求めなければいけない部分です。それがチームの優勝に直結するし、個人としては日本代表選出につながった。数字の重要性を改めて実感した1年でした。だから今シーズンも、たとえばゴール数やアシスト数で昨シーズンを超えたい。でも、自分はそれ以外の部分でも唯一無二の価値を示していきたいし、示せると思っています」

 右足から繰り出す正確無比なクロスが代名詞となっている。美しい弧を描いた放物線の先に待っているのはゴール前に走り込む味方で、復帰してからの3シーズンで非公式ながら合計26アシストを記録している。

 ただし、それだけの選手ではない。これまでトータル5クラブに在籍して酸いも甘いも経験してきた時間は、苦しい局面のチームを助ける大きな武器だ。

「F・マリノスのサッカーを構築するにあたって、中盤での動きの質を上げることは大きなポイント。ゴールを決める選手やアシストする選手ばかりに目が行きがちだけど、その手前でどれだけ効果的に関われるか。ゴールシーンのハイライトなら、映像に入っているかどうかくらいの場面(笑)。そこでの質をもっと高めていきたい。ゴールやアシストができて、それ以外の部分もやる。あれもできて、これもできて、をもっと大きな価値にするために、今までの自分を超えていきたい」

 潤滑油と呼ぶべき役割は、誰もができるわけではない。自然体で声を発し、手を叩き、笑みをこぼす人間性は彼ならでは。「自分が助けてもらうためにも、周りをもっと助けたい」というマインドは生まれつきのもので、チームスポーツをするために生まれてきたような男である。

周囲に支えあってのキャリアだからこそ、チームのためのプレーを体現する【写真:窪田 亮】
周囲に支えあってのキャリアだからこそ、チームのためのプレーを体現する【写真:窪田 亮】

愛娘の姿から学ぶ「在るべき姿」

 決して順風満帆ではないキャリアは、周囲の支えがなければ今に至らなかった。たくさんの指導者に恵まれ、ともに汗と涙を流してきたチームメイトに助けられ、決断が必要な場面では父親の水沼貴史氏が背中を押してくれた。最近では、妻と2歳の愛娘に大きなパワーをもらっている。

「練習や試合が終わって家に帰ると、娘が走ってきて玄関で出迎えてくれます。その姿を見ると、帰ってきたばかりなのに『もっと頑張らなければ』という思いになる。自分が青いユニフォームを着ている映像を見ると、サッカーをやっていることも分かるみたいで『サッカー頑張った?』と話しかけてくれます。子供って、邪心も邪念もない世界で生きていて、すべてに対していつも一生懸命。その姿を見ると、自分が何歳になっても在るべき姿を教えてくれている気がします」

 改めて考える『チームのために何ができるか』からの逆算。これからも横浜F・マリノスを勝たせる選手であるために。結果や数字を追い求めながら過程も突き詰め、それでいて周囲への働きかけも忘れない。

 水沼宏太の進化が止まらない理由だ。

[プロフィール]
水沼宏太(みずぬま・こうた)/1990年2月22日生まれ、神奈川県出身。横浜FMジュニアユース―横浜FMユース―横浜FM―栃木SC-サガン鳥栖―FC東京―セレッソ大阪―横浜FM。J1通算350試合45得点、J2通算50試合7得点、日本代表通算2試合0得点。豊富な運動量でグラウンドを駆け抜けるハードワークと、右足から繰り出す正確なクロスが武器。2022年はA代表初選出に加え、自身初のJ1優勝を叶える特別な1年となった。父・貴史氏と史上初の親子2代A代表入りとJ1優勝を達成。

(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)



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藤井雅彦

ふじい・まさひこ/1983年生まれ、神奈川県出身。日本ジャーナリスト専門学校在学中からボランティア形式でサッカー業界に携わり、卒業後にフリーランスとして活動開始。サッカー専門新聞『EL GOLAZO』創刊号から寄稿し、ドイツW杯取材を経て2006年から横浜F・マリノス担当に。12年からはウェブマガジン『ザ・ヨコハマ・エクスプレス』(https://www.targma.jp/yokohama-ex/)の責任編集として密着取材を続けている。著書に『横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史』、構成に『中村俊輔式 サッカー観戦術』『サッカー・J2論/松井大輔』『ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ/山瀬功治』(発行はすべてワニブックス)がある。

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