東日本大震災が変えた人生観…元仙台・太田吉彰&鎌田次郎が明かす内なる変化「人への思いが増した」「周りにはたくさんの人がいる」

元仙台の鎌田次郎氏(左)と太田吉彰氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部】
元仙台の鎌田次郎氏(左)と太田吉彰氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部】

【対談】仙台は太田&鎌田のゴールで川崎相手に2-1の逆転勝利

 未曾有の災禍となった2011年3月11日の東日本大震災発生から12年が経った。当時ベガルタ仙台に所属し、再開初戦となった川崎フロンターレ戦でゴールを決めて逆転勝利に導いたのが太田吉彰氏と鎌田次郎氏。2人は「FOOTBALL ZONE」のインタビューで当時を振り返り、劇的なゴールの裏に隠された秘話などを語った。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小西優介)

   ◇   ◇   ◇

――再開初戦はアウェー川崎戦でしたが、会場での雰囲気や意気込みは?

太田「スタジアムに入ったら川崎のファンの方々がたくさん声援をくれたのを覚えています。試合中はあまり分からなかったのですが、それ以外の時は凄い雰囲気、体験したことない雰囲気でした。足の1、2本ぶっ潰れてもいいくらいの気持ちで試合に臨みました」

鎌田「特別な雰囲気で(敵地にもかかわらず)すごく受け入れてくれているのが伝わりました。2011年は1年を通じて相手チームも応援をくれましたね。特に、震災を経験した地域であるヴィッセル神戸戦は記憶にあります。試合前と試合後は特に応援されているのが分かったし、嬉しかったし、ありがたかった。川崎戦は見たことないぐらいのカメラの数があって、メディアの数も凄かったです。まずは90分戦うこと、最悪勝ち点1でも、という気持ちでスタートしました」

――試合は前半から0-1とリードされる展開になりましたが、後半28分に太田さんの同点ゴールで追い付きました。

太田「そのプレーで両足を攣ってしまって、『痛いし、嬉しい』というのが率直な感想でした。どこに行こうが枠に打つことしか考えてなく、気持ちで押し込んだゴール。ボールがぽんぽんぽんとゆっくり動いてゴールに入っていったのをはっきり覚えていて、いまだに目に焼き付いています。足が限界のラストワンプレーで、自分は走れる選手だったのに73分で両足を攣るなんて人生最初で最後でした。決まったあとはそのまま交代して、『あとはみんなにすべてを託した』という気持ちでした」

――後半42分に鎌田さんが逆転ゴールを決めた時の気持ちは?

太田「あんなに嬉しかったことはない、というゴールでした。足が痛かったけど、ベンチを飛び出してめちゃくちゃ喜んだのを覚えています」

鎌田「いつもこぼれ球に詰めるなど泥臭いゴールしかなかったので、あれは人生で一番綺麗なヘディングでのゴールでした。嬉しいのはもちろん、勝って仙台に勝利を届けたいとしか考えていなかったです。頭に当てた瞬間、軌道が見えたのでゴールを確信しました。(ゴール後に)バックスタンドに走って行きましたけど、今思えばベンチかゴール裏に走って行けば良かったと思っています(笑)」

試合終了のホイッスルを聞いた瞬間は「ほっとした」

――劇的な逆転勝利を仙台に届けましたが、試合終了の瞬間の気持ちは?

太田「声援がもの凄かったことが記憶に残っています。仙台からもサポーターが駆けつけてくれていたのを知っていたので、力をもらいました。あの声援がなければ走れなかったと思います。持っている力をすべてあの試合に懸けました。2011年はすべての試合がそういう感じでした」

鎌田「ほっとしました。勝ったのはもちろんのこと、試合がちゃんと終わって良かったという気持ちが大きかったです。次の試合のことなんて全く考えていなかった。誠さん(手倉森監督)が本当に凄くて、あの年は1試合1試合に意味を持たせてくれたので、リーグ戦のただの1試合じゃなくて、1試合ごとに決戦という気持ちで挑めました」

――2011年シーズンは前年の14位から4位へと大きく躍進しましたが、その要因は?

太田「震災があったからと言うとちょっと違いますけど、より1戦1戦に集中して取り組めたことが、リーグ戦4位につながったかなと思います」

鎌田「4位に行くなんて考えてもなかった。チームのまとまり、大切さをより感じた年でした。代表選手もいなかったし、勝っていたというより負けなかったことが大きかったと思います。どこに行っても仙台を応援してくれるような雰囲気はあったと思いますし、相手からしたら、もしかしたらやりにくかったかもしれない」

――仙台への思いを聞かせてください。

太田「引退セレモニーで(ジュビロ)磐田サポーターの前でも思いを言いましたが、人としても選手としても成長させてもらいました。一度磐田を出たあと、海外挑戦に失敗したところを仙台に拾ってもらい、また磐田に戻りましたけど、どちらのチームにも感謝しています。在籍期間は仙台5年、磐田13年だけど、どちらか選べと言われても選べない。濃いチームでした」

鎌田「大卒2年で柏(レイソル)をクビになった時に拾ってもらって、振り返ってみると、自分が選手として一番輝いていたのは仙台時代。2016年に移籍することになりましたけど、記録にも記憶にも残っている。移籍したから縁が切れる訳ではないし、濃い思い出がたくさんあり、一番感謝しているチームです」

――震災を経験して変わったことは?

太田「大きく人生観が変わりました。これまでは極端な話、『自分さえ良ければ』という考えでした。(震災を経験して)人のこともしっかり考えるようになり、自分の思いから人への思いが増しました。特に応援してくれている人に対してそう思うようになり、そういう人がいてくれたからこそやってこれた。引退はしましたけど、今でも変わらずそう思っています。人としても選手としても大きな経験です」

鎌田「震災を経験したことで、周りにはたくさんの人がいることに気付かされましたし、自分だけじゃないと感じた。周りの人たちと協力していくことが大事で、いろんな人がいて自分の人生が成り立っていることをより実感しました。ヨシくん(太田)と同じで感謝しかない。プレー中も、プレー後も、練習前後のファンに『ありがとう』と思う気持ちがより強くなりました。いろんなチームに所属しましたけど、あのチーム以上に一体感を感じたことはなかったです。上手い下手じゃない、強い弱いじゃない一体感。ほかの人にもそれを伝えたかったけど、経験していない人にはなかなか伝わらない難しさもありました。だからこういう取材やイベントで伝え続けるのが大事だと思っています。震災を経験した人たちが伝えていければと思います」

[プロフィール]
太田吉彰(おおた・よしあき)/1983年6月11日生まれ、静岡県出身。ジュビロ磐田ユース―磐田―仙台―磐田。J1通算310試合36得点、J2通算39試合4得点。トップ下やFW、サイドハーフなど攻撃的なポジションをマルチにこなす鉄人として活躍した。2007年にはイビチャ・オシム監督が指揮する日本代表にも選出。2019年限りで現役を引退し、現在はサッカースクール「YPPA 太田吉彰サッカーアカデミー」を昨年開講した。

鎌田次郎(かまた・じろう)/1985年7月28日生まれ、東京都出身。流通経済大時代の06年に特別指定選手として柏レイソルに所属し、08年に正式加入。10年から仙台に完全移籍し、11年と12年のJリーグアウォーズで優秀選手賞の1人に選出された。その後、16年に柏へ復帰。21年に相模原へ期限付き移籍し、22年から完全移籍となった。同シーズンはJ3リーグ戦16試合に出場し、1得点を記録。同年11月に契約満了後、今年1月21日に現役引退を発表していた。344試合に出場し15得点を記録。

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