元日本代表FW大黒将志が告白、中国生活で受けた“衝撃”とは? 「日本では絶対見られない」

中国での生活はタフだったと大黒氏は振り返る【写真:(C)FOOTBALL ZONE】
中国での生活はタフだったと大黒氏は振り返る【写真:(C)FOOTBALL ZONE】

中国リーグ挑戦は「プラスにもなる」

――さすがの順応力です。ほかにも印象的なエピソードはありますか?

「練習後や休みの日によく焼肉を食べに行っていたのですが、その焼肉屋の店員たちが店内で鬼ごっこを始めた時は笑ってしまいました。店内で走り回って。これは日本では絶対に見られないですね」

――その様な刺激的な中国生活を終え、Jリーグ復帰に至った経緯を教えてください。

「私は2年契約で杭州緑城に加入したので、2013年のシーズンが終わった際、まだ契約が1年残っていました。しかし、当時チームの監督だった岡田武史さんが2013年シーズンをもってチームを去ることが決まり、それに伴って一緒に来ていた日本人のチーム関係者、コーチや通訳の方もチームを離れていきました。つまり2014年シーズンのキャンプインで中国に戻ると、日本人が急に私だけになっていました。

 外国人新監督の下、私はチームの構想から外されてしまいました。もともと岡田さんが私を呼んでくれたというのもありますし、『結果を出していようとも、日本人プロジェクトが終わった今、大黒も出て行ってくれ』というチームの空気感がひしひしと伝わってきました。練習の紅白戦にも出場させてくれず、最終的にユースチームのメンバーと練習をさせられるようになります。

 それで毎日のユースチームとの練習に真剣に取り組んでいると、正式に移籍の申し出がチームからありました。そして、日本へ戻ることになります」

――実際に中国リーグを経験された立場から、日本人選手たちが中国リーグへ移籍することは賛成でしょうか?

「すべてに賛成とは言えませんが、選手に強い意志があり、移籍する際はしっかり契約を結ぶことができれば良いと思います。今も変わらないと思いますが、決してリーグのレベルは低くなく、生活面でも異文化に触れることができますし、行くことはプラスにもなると思います」

¬――最後に、中国サッカーファンに一言お願いします。

「私が在籍していた時に、応援していただきありがとうございました。中国のファンの皆さんとは、非常にいい関係を築けていたと思っています。今、私はガンバ大阪でストライカーコーチをしており、サッカーの育成に関わっています。今後は監督なども目指しており、ぜひまた機会があれば中国でも仕事がしたいと思っています。その時はまた、どうぞよろしくお願いします」

[プロフィール]
大黒将志(おおぐろ・まさし)/1980年5月4日生まれ、大阪府出身。ガンバ大阪ユース―ガンバ大阪―札幌―ガンバ大阪―グルノーブル(フランス)―トリノ(イタリア)―東京V―横浜FC―FC東京―横浜FM―杭州緑城(中国)―京都―山形―京都―栃木。2005年、W杯アジア最終予選の北朝鮮戦で後半アディショナルタイムに値千金の決勝ゴールを挙げ、一躍ヒーローに。公式戦通算222ゴールを積み上げた卓越した得点嗅覚を生かし、2021年1月に現役を引退して、ガンバ大阪アカデミーのストライカーコーチに就任。

[著者プロフィール]
久保田嶺(くぼた・れい)/1991年生まれ、埼玉県出身。中国最大のサッカーメディア「懂球帝」にて、日本人初の公認アカウントとして活動をしている。

(久保田嶺 / Rei Kubota)



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久保田嶺

1991年生まれ、埼玉県出身。「Rouse Shanghai Co.,Ltd.」代表。日中スポーツに関する広告や選手/指導者のマネージメントを手掛ける。自身の中国SNSフォロワー数も40万人と中国サッカー界で一番有名な日本人として知られ、日本へ中国サッカー情報を発信する。

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