際立つ「弱肉強食の論理」 Jリーグに近づく過渡期と重要視される「ステータス」

天皇杯決勝進出した大分トリニータ【写真:Getty Images】
天皇杯決勝進出した大分トリニータ【写真:Getty Images】

【識者コラム】天皇杯で台風の目になった大分に見た、ベーシックな部分の向上の難しさ

 今年の天皇杯で台風の目になったのは、J2への降格が決まっている大分トリニータだった。

 ベスト4が決まった時点で、大本命は川崎フロンターレだったはずだ。鬼木達監督も早くからリーグとの二冠達成の目標として公言してから、天皇杯の準決勝は最高のモチベーション、コンディションで臨んで来るのは間違いなかった。つまり、格下の大分が波乱を起こす材料を探すのは難しかった。

 だが、大分を率いる策士・片野坂知宏監督は、リーグ戦とは異なる戦術を選択。中盤をダイヤモンド型にして、本来ボランチの下田北斗をトップ下に配し、川崎のアンカー橘田健人の監視役にするなど、プレッシングのマッチアップを明確にして序盤から飛ばした。それでも川崎優勢は動かず、ポゼッションや決定機も含めて圧倒した内容ではあったが、延長戦の終了間際に追いついた大分がPK戦を制して大番狂わせを演じた。

 勢いに乗る大分は決勝戦でも終了間際に浦和レッズに追いつき、片野坂監督も「再びミラクルを起こせるかな」と感じたそうだが、直後に決勝点を献上することになった。

 そして、この試合を最後にチームを去る敗軍の将は語った。

「決勝戦の舞台まで進出できたのは素晴らしい。しかし、カテゴリーが上がると、いくら戦術的にいろんなチャレンジをしても、最終的にはベーシックなところで上回れるかどうかの戦いになる」

 サッカーで最も難しいのが、ベーシックな部分の向上だ。要するに選手の質の勝負ということになり、どんな優れた策を用いてもそこを補い切るのは至難の業だ。裏を返せば大分の善戦はノックアウト方式ならではのもので、リーグ戦で通用しなかったことは結果が示している。

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加部 究

かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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