「後悔は少しもしていない」 元日本代表GK都築龍太、闘い続けた日々と32歳での引退

日本代表も経験したGK都築龍太(浦和時代)【写真:Getty Images】
日本代表も経験したGK都築龍太(浦和時代)【写真:Getty Images】

【元プロサッカー選手の転身録】都築龍太(元G大阪、浦和、湘南)前編:若気の至りで起きた確執と熾烈なライバル関係

 今回の「転身録」はガンバ大阪、浦和レッズ、湘南ベルマーレの3クラブに所属し、日本代表も経験したGK都築龍太(43歳)だ。現役時代は気迫漲るプレーを見せ、浦和ではタイトル獲得も経験。2010シーズン限りで32歳での現役引退を決断すると、15年からはさいたま市議会議員を務めている。前編ではG大阪と浦和での忘れられない試合や、ライバル関係について振り返る。(取材・文=河野 正)

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 全国高校サッカー選手権で6度の優勝を誇る長崎の強豪、国見高校から1997年にガンバ大阪入りしたGK都築龍太にとって、6年間の在籍中に節目や岐路となった試合が、決まってジュビロ磐田戦だった。

 そもそもJリーグデビューの相手が磐田だ。98年11月14日の万博記念競技場。G大阪が4-2で前半を折り返したが、後半に3失点し4-5で痛恨の逆転負けを喫した。

 G大阪の正GKは96年途中から岡中勇人が担ってきたが、2000年の開幕前に体調を崩して離脱。早野宏史監督は都築を守護神にする腹積もりでいたが、ちょっとした事情で出られなくなった。第1ステージ第12節の磐田戦でようやく出番がくると、ここから出場停止1試合を除き、60戦連続で先発することになる。

 この磐田戦は、劣勢のG大阪がアンドラジーニャの2得点で2-1と逆転勝ちし、都築も藤田俊哉のPKを止めている。

「ガンバで一番忘れられない試合ですね。ゴン(中山雅史)さんと激突して内側側副じん帯を痛め、テーピングで激痛を抑えながらやり通したことが、すぐ頭に浮かびます。ドクターには止められたけど、中断期間までの3試合は、痛み止めの注射を打って強行出場。チャンスを逃したくなかったんですね」

 だがこの試合から数えて節目となる60試合目が、チームを去る岐路に一変するのだから皮肉なものだ。相手はまたしても因縁の磐田である。

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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