緻密な戦略でスペインを翻弄 番狂わせを「奇跡」と呼ばせなかった日本の躍進

駿足を存分に活かした1トップの永井謙佑【写真:Getty Images】
駿足を存分に活かした1トップの永井謙佑【写真:Getty Images】

【五輪“初戦”の記憶】2012年ロンドン大会「日本 1-0 スペイン」…ミドルゾーンで奪い永井のスピードを活かすカウンターを徹底

1996年アトランタ大会
2008年北京大会

 1993年にJリーグがスタートしてから、日本はすべての五輪に出場してきた。だが反面、2000年シドニー大会では準々決勝に進出したが、次の2大会は連続してグループリーグで敗退。五輪の強化方針は、毎回微妙に揺れた。年齢別ワールドカップではなく、各国の取り組み方にも温度差がある。オーバーエイジ(OA)3名を加えて“最強メンバー”の招集に落ち着いたのは、今回の東京大会が初めてだった。

 2012年ロンドン大会では、ドルトムントの中心選手としてリーグ連覇を果たし、マンチェスター・ユナイテッドへの移籍が決まった香川真司を招集するかどうかが焦点になった。だがJFAは、香川は年齢別代表を卒業と判断して、A代表と所属クラブでの活動に専念させる結論を下す。一方で経験値が不足し弱点となりそうなDFは、当時VVVでプレーしていた吉田麻也と、最終ラインからボランチまで務められる徳永悠平を、OA枠で招集した。

 開幕戦の相手に決まったのは優勝候補のスペイン。2010年の南アフリカ・ワールドカップ(W杯)を挟み、欧州選手権(EURO)では08年、12年と連覇を達成したばかりだった。

 ただし日本には、過去に五輪の初戦で3度も優勝候補と当たり、いずれも奇跡的な勝利を収めてきた実績があった。成長途上の国にとって、明確にチャレンジャーの立場で始まる冒険は悪い巡り合わせではなかった。

 スペインはアンカーにハビ・マルティネス、左サイドバック(SB)にジョルディ・アルバ、そしてMFにはフアン・マタとEURO優勝メンバー3人をスタメンに送り込み、ダビド・デ・ヘアがゴールマウスに立ち、イスコやコケが中盤を構成する豪華なラインナップだった。だが個々の保有時間が長く、ゆっくりと組み立ててくるので、ミドルゾーンでボールを奪いカウンターを仕掛ける日本の戦略は有効だった。

 スペインは前半24分、マタがカットインから左隅へミドルシュートを放つが、GK権田修一がセーブ。本格的に日本のゴールを脅かすシーンは、それから終盤まで訪れなかった。

 逆に日本は1トップの永井謙佑の駿足を存分に活かし何度かゴールに迫ると、遂に前半34分に均衡を破った。自陣ゴール前の守備からカウンターに繋げた日本は、最後に東慶悟がシュートをブロックされてCKを獲得。右から扇原貴宏がインスイングで蹴ったボールは、ニアポストに入った吉田の頭を越え、ファーサイドから飛び込んできた大津祐樹が捉えた。

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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