韓国代表DF、初来日時に感じた日本サッカーの難しさは? 「自分にはとても速かった」

日本サッカーの“テンポ”についていくのに「すごく苦労した」

 キム・ヨングォンが所属クラブを決める際に、とても重要視していると感じたのが、環境の良さと成長力だ。韓国の全州大学校を経て、プロ初の舞台に選んだのは日本のJリーグだった。

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「もっといい環境でサッカーができる場所を探していたのですが、そのなかでもFC東京が一番良い環境でサッカーができるのではないかと思って決めました」

 当時、キム・ヨングォンはU-20韓国代表にも選ばれ、2009年U-20ワールドカップ(W杯)にも出場。主力としてベスト8進出に貢献している。そんな姿をFC東京の強化部がチェックしていたようだ。

「当時の(U-20韓国代表)監督が、試合を何度か見に来ていると教えてくれたのですが、自分に関心を持ってくれていたことにはとても感謝しています。Jリーグに行くきっかけができたわけですから」

 2010年からFC東京で歩み始めたプロサッカー選手としての第一歩。慣れればすぐにでも戦える自信はあったというが、大学とプロのレベルの違いには圧倒されたという。

「自分よりも本当に上手い選手たちがたくさんいて、チームに貢献できるのか。ほかの選手たちとのポジション争いに勝てるのかなど、すごく緊張感があったのを覚えています」

 日本のサッカーへの適応は、そう簡単ではなかったという。

「慣れるまでには時間がかかりました。一番は言葉の壁。日本語でのコミュニケーションは、プレーにおいてもすごく重要でした。特にセンターバックなので守備の連係や最終ラインの確認など、意思疎通を図るうえでも日本語でのコミュニケーションはすごく大事だなと感じました。もちろん今はもう日常会話程度なら問題なくできますよ」

 その他に難しいと感じたのが、サッカーの“テンポ”だったという。

「日本サッカーのテンポについていくのに、当初はすごく苦労しました。自分にはとても速かったんです。もちろん大学とプロではスピードの違いは顕著にありますが、日本のサッカーは韓国よりも緻密で細かいプレーと動きが特徴だと感じました。監督やチームメートからいろんなアドバイスをもらいながら、プレーに慣れていきましたね」

金 明昱

1977年生まれ。大阪府出身の在日コリアン3世。新聞社記者、編集プロダクションなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めた後、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。2011年からは女子プロゴルフの取材も開始し、日韓の女子ゴルファーと親交を深める。現在はサッカー、ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。近著に『イ・ボミ 愛される力~日本人にいちばん愛される女性ゴルファーの行動哲学(メソッド)~』(光文社)。

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