「お前とお前が競争」 今野泰幸、熾烈な“アテネ行き”を経て遂げた進化【五輪代表の舞台裏】

五輪代表からA代表へ…次にぶち当たった“試練”「心に穴が開いた」

 悔しさを抱えて日本に戻った。今野の視線は次のステップ、A代表に向いていた。だが、アテネ五輪が開催された2004年は招集されることがなかった。ここでも“壁”が立ちふさがった。

「五輪が終わってすぐA代表に入れると思っていたけど、入れなかった。その時は結構つらかった。空白で心に穴が開いたという感じ。代表で出ていた選手の凄さも分かっていたし、とりあえずやっていくしかないかなと切り替えた。特徴を強みに変えていけるように、と。自分は“潰し”が命だった。つなぎ、ビルドアップ、人と関わる部分では成長が必要だった。僕は動物的な感じで動くので、突発的に攻撃に絡んで点を取ったりもするけど、試合を落ち着かせるとか、ゲームを読んで展開していくということは欠けていた。流れに身を任せてガッといけた時は良いプレーをするけど、流れが悪い時に何もできなかった」

 自身の欠点と向き合い、次は克服に努めた。激しい五輪のメンバー選考を乗り越え、精神面でも鍛えられた今野だからこそ、見つめ直すことができた。気付きはプレーの幅を広げさせ、成長させたという。

「いろんな挫折、悔しい思いをしながら考えて改善しなくちゃ、と考えてきた。成長が終わったらサッカー選手として終わりだからね」

 険しいアテネ五輪までの道のり。大会本番から次の舞台へ、すべての歩みに意味があった。この経験を今野自身、忘れることはないだろう。
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(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)



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