中村俊輔は「日本のバッジョ」 レッジーナ時代の輝きを“スーパースター”級と伊再評価

レッジーナ時代のMF中村俊輔【写真:Getty Images】
レッジーナ時代のMF中村俊輔【写真:Getty Images】

2002年、横浜FMから半年間のレンタル+買い取りオプション付きでレッジーナへ

 横浜FCの元日本代表MF中村俊輔は、ヨーロッパでも長年キャリアを積み上げたが、そのスタートの地になったのがイタリア南部のクラブ、レッジーナだった。イタリア人ジャーナリストのアレッサンドロ・ルタ氏が、イタリアメディア「クアットロ・トレ・トレ」で「中村俊輔、レッジョ・カラブリアのスーパーヒーロー」として当時を振り返っている。

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 横浜F・マリノスに所属していた中村は2002年、フィリップ・トルシエ監督が率いて自国開催の出場となった日韓ワールドカップ(W杯)の日本代表メンバーから落選。当時の代表チームを「ローマのスターで、当時のパルマでは最高の選手だった中田英寿がいて、稲本(潤一)と小野(伸二)というアーセナルやフェイエノールトの興味深い中盤、その後にイタリアに来た柳沢(敦)や小笠原(満男)もポジションを争っていた」と紹介した。

 そして、「そのチームに選ばれなかったが、7月に(ミラノ郊外の国際空港)マルペンサに降り立った。名前は中村俊輔といった。彼の移籍には当時のレッジーナで重要なパトロンだった、リッロ・フォティの力があった。彼は、前シーズンの最後にセリエA昇格をみんなが喜んでいる間、すでにマリノスと交渉していた。ようは、すでに中村を知っていたということなのだ」として、先見の明があった背景を明かした。

 その獲得について、記事では「いくつかの情報源やトルシエによれば、『彼は軽すぎる』という評判だった。だが、W杯前のテストマッチで決めた二つのフリーキックは『日本のバッジョ』だった。レッジーナは半年の期限付き移籍に、プラス3年間の契約を買い取りオプションにした獲得を決め、年俸は51万ユーロ(約6000万円)だった。そして移籍が決まった初日、彼は30人か40人の(日本人の)報道陣を引き連れてやってきた」と振り返っている。

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