元日本代表DFが始めたサラリーマン生活 電車通勤1時間超…工場で触れる“モノづくり”の奥深さ

文化シヤッター小山工場の蓮見幸夫工場長(右)は、最も信頼できる上司だ【写真:河野 正】
文化シヤッター小山工場の蓮見幸夫工場長(右)は、最も信頼できる上司だ【写真:河野 正】

浦和サポーターも永田の入社に驚き 「こんなに穏やかで話しやすいとは…」

 最初に直面した困難について尋ねると、「会社のコンプライアンスというのがよく分からなくて困りました。今までパワハラとかに縁のない仕事と仲間でしたから」とジョークで笑いを誘い、「軽はずみに何かを言わないようにしていますが、気を遣いすぎると喋れなくなっちゃう」とまた笑わせた。

 JR小山駅は埼玉県沿線を通る宇都宮線や湘南新宿ラインなどが乗り入れるため、小山工場には埼玉県民の従業員が多い。永田が2011年から6年間所属したJリーグ浦和レッズの支援者も多く、これには本人も驚き、自分の試合を見てくれた人の存在が嬉しかったそうだ。

 そんな支援者の1人である藤田清治さんは、「プレーを見ていた人と一緒に働くなんてびっくりですが、とても気さくな人です」と語り、堀江登水子さんも「競技場とテレビで見ていた人が来たので驚きです。こんなに穏やかで話しやすいとは思いませんでした」と、幸運な出会いを喜んだ。

 サラリーマン生活も8カ月が過ぎ、初めは朝がつらかったが、毎日の習慣も体に染み付き、責任の重い業務に携わっていないとはいえ、仕事もだいぶこなせるようになった。ドア枠の水漏れ検査の際に行うシーリング材を塗布する作業は、すっかりお手のものとなってきれいにこなせる。

 想像すらしていなかった未知の世界に飛び込み、「鉄の材料がシャッターになる工程を初めて見て、モノはこうやって造られていくのだと感動しました。完成というゴールを目指し、みんなで協力していくのはサッカーと同じ。連携の大切さをあらためて感じた」と言って、完成した軽量シャッターを上手に巻き上げた。

 自宅にパソコンはあるが、全く触れたことがない。原材料や工程管理など製造のマネジメントにパソコンは不可欠。そこで週に一度、基礎から習ってワードやエクセルなどのアプリケーションも徐々に使いこなせるようになり、パワーポイントを習得したらテーマを与えられ、プレゼンテーションする予定もある。

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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