「シャペコエンセの悲劇」を忘れない 墜落事故から4年、元Jリーガーも犠牲となった現場は今

墜落現場付近で当時の様子を説明する第一発見者のミゲルさん【写真:福岡吉央】
墜落現場付近で当時の様子を説明する第一発見者のミゲルさん【写真:福岡吉央】

第一発見者となったミゲルさんが見た墜落直後の現場

 なぜ機長は給油を怠ったのか。

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 この墜落で、日系ボリビア人の機長も死亡したため、もはや真実を知ることはできないが、その後の調査で機長は燃料に余裕を持たせていなかったことを自覚しており、それが発覚すると多額の罰金が科せられるため、不祥事の発覚を恐れていたのではないかと言われている。またラミア航空は経営状況が悪く、経費を削減するため、余裕を持った燃料搭載を意図的に行わなかったのではないかとも報じられている。

 そして、墜落直前まで管制塔に緊急サインを出さなかったことも原因の一つだった。同機はメデジンの空港手前で旋回して着陸の順番待ちをしていたが、ガソリンは刻々と減っていた。そしてエンジンが異常をきたし、電気系統も通常通り作動しなくなってしまう。管制塔への報告が遅れたことで、墜落は避けられなくなった。

 さらに、搭載していた荷物量が同機の制限範囲を超えていたことも、ガソリンの消耗を早めたと見られている。そのため給油量、搭載重量をともに違反していながらこの飛行を容認したサンタクルスの空港も責任を問われることになった。

 飛行機がセロ・ゴルドに墜落したのは午後10時頃。第一発見者は、墜落現場から約200メートルの距離にある小屋に住んでいたミゲル・ラミレスさんとその息子ジョアン・ラミレスくんだった。ミゲルさんは地獄絵図だった当時の現場の様子を、こう振り返る。

「突然、家の外から『ドーン』という大きな男が聞こえたんです。ここは飛行機の通り道だから、すぐに飛行機が落ちたんだと思った。そこで暗闇の中、ランプを灯し、息子とともに音の聞こえた方向に歩いていったんです。でも、燃料不足が原因の墜落だったので、火事は起きていなかった。そして、助けを求める声が数カ所から聞こえてきて、生存者がいることが分かったんです。声のほうに近づいていくと、真っ二つに折れた機体の残骸が散らばっていた。木に引っかかったまま、木の上から助けを求める人もいた。機体から投げ出された人たちの遺体がそこらじゅうに転がっていて、中には頭や腕、足がちぎれた遺体もありました」

 チャーター機にはシャペコエンセの選手、スタッフ、ジャーナリスト、乗務員ら計77人が乗っていた。機体が墜落したのは山の尾根の部分。墜落時の衝撃で折れた機体は、尾根の両サイドに放り出される形で飛び散り、乗客も暗闇の山中に放り出された。

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