「奇跡だった」 “川崎の太陽”ジュニーニョ、日本に捧げた11年への「愛」と「感謝」

かつて川崎フロンターレでプレーしたブラジル人FWジュニーニョ【写真:Getty Images】
かつて川崎フロンターレでプレーしたブラジル人FWジュニーニョ【写真:Getty Images】

【あのブラジル人元Jリーガーは今?】ジュニーニョ(元川崎、鹿島)――現役引退後はサッカースクールで後進を指導

 ブラジル人FWジュニーニョは、2003年から川崎フロンターレで9年間、その後に鹿島アントラーズでも2年間プレーした。J1&J2得点王やベストイレブンのほか、ブラジル帰国後の2014年にはJリーグ功労選手賞も受賞。日本での選手生活は、今振り返っても「奇跡だった」という。

「挑戦するのが好きなんだ。(来日前に)所属していたパルメイラスはビッグクラブだけど、ちょうど2部降格が決まったこともあって、そこへ届いた日本からのオファーは、僕にとって意欲を掻き立てられる新たな挑戦だった。

 僕の中に常にあったのは、『みんなで歴史を作るんだ』という闘志。J1昇格に貢献したい。昇格したら、J1での躍進に貢献したい。そうやって、チームの目標のために戦うことが、結果として自分の成功にもつながった。多くの練習と全身全霊の献身。いつでも、“もっともっと”と求めること。そういう努力と、自分が心地良くいられるクラブ、素晴らしいチームメートとサポーター……。すべてが噛み合って、キラキラと輝く、奇跡のような年月を過ごすことができた」

 帰国後は、地元バイーア州にあるジュアゼイレンセを手助けするために、数試合プレーした後、現役を引退。そして、監督講座を受けるなど、指導者としての勉強をした。

 現在はサッカースクールで少年や若い選手たちを指導しながら、トレーニングセンターを建設中だ。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)の影響で、完成予定は来年に持ち越されたが、指導した少年たちの中からすでに才能を発掘し始めるなど、順調に活動を広げている。

「運営管理も手がけるけど、同時に僕もピッチで指導しているし、これからもそれは変わらない。僕が学んできたこと、経験してきたことを伝えたいから」

藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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