「奇跡だった」 “川崎の太陽”ジュニーニョ、日本に捧げた11年への「愛」と「感謝」

今やエースFWへと成長した小林悠(手前)に自らの経験を惜しみなく伝えた【写真:Getty Images】
今やエースFWへと成長した小林悠(手前)に自らの経験を惜しみなく伝えた【写真:Getty Images】

10歳年下のFW小林悠に惜しみなくプレーのコツを伝授「彼らから学んだことも多い」

 経験を伝えるのは、川崎時代からジュニーニョがやってきたことだ。例えば、彼は自分より10歳若いFWの小林悠に、プレーのコツなどを惜しみなく伝えていた。

「チームメートが成功するのを見るのが好きだったから。ユウ(小林悠)も、素晴らしい選手だった。見て、学び、会得する。ケンゴ(中村憲剛)もそうだけど、学びたいという意欲が大きい選手だった。ユウや他のFWの選手たちと一緒に練習しながら、『こうやってシュートすると良い』『もっとああしてみろ』と、いつでも伝えていた。彼は謙虚だから『ジュニーニョがそう言うのなら、やってみよう』って。そして、嬉しいことに、フロンターレ通算最多得点をマークする選手になった。でも、逆に僕が彼らから学んだことも多い。自分より若い選手たちからだって、学ぶことがあるんだ。だから、謙虚であることが大事。それを今の生徒たちにも話している」

 彼が伝えるのは技術面だけではなく、スピリットもそうだ。小林は「チームが苦しい時に、ゴールを決められる。それがストライカーだ」というジュニーニョの言葉が、印象強く残っているとコメントしている。

「僕らFWは、いつでもゴールを決めるために集中していないと。チームが良いプレーをできずにいる時も、試合の流れが呼び込めない時も、一つゴールが決まれば、すべてが変わるよね。僕らがゴールを決めれば、守備陣にも信頼感を与えることができる。調子の悪かった選手のプレーも変えられる。ゴールによって生まれた雰囲気が、チーム全体に伝わり、自信につながるんだ。だから、ゴールにはスコア1点以上の重要性があり、僕らFWはそのための責任を負っている。」

 こうして熱く語る彼のサッカースクールは、発展を続けている。

「ここバイーア州のいくつかの街に、フランチャイズを広げる計画があるんだ。パートナーシップのための、いろいろなオファーを受けている。日本からの話も来ていて、僕も自分のアイデアを伝えたりしている。ただ、僕は日本が僕にしてくれたことを、すごく感謝しているし、日本でとても幸せだった。だからこそ、その絆をこれからも大事にしていくために、こういう話もとても慎重に進めているところだよ」

藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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