食野亮太郎、絶妙ボレー弾に敵将ジェラード驚嘆の“裏話” かけられた言葉「握手しに来てくれて…」

ホーム戦でもジェラード監督から呼び止められ…「名前を覚えてもらっていた」

 年が明けた1月26日のリーグ第23節で、ジェラード監督が率いるレンジャーズと再び対戦。1月上旬から中旬までU-23日本代表の一員としてU-23アジア選手権に唯一の海外組として招集されていた食野は、ホームで迎えたこの一戦でベンチを温めることとなった。2-1でハーツが勝利を収めた試合後、食野は再びジェラード監督に呼び止められた。

「『メシノ!』って握手しに来てくれて、名前を覚えてもらっていました。そこは嬉しかったですね、率直に。『グッドラック』と声をかけてもらったかな」

 敵将の印象にも大きく残った一発。この絶妙なボレーシュートは、父とG大阪アカデミーで育った弟・壮磨(京都産業大)とともに幼い頃から積んだ猛特訓の賜物だった。

「あのボレーは小さい時から、父親と弟と公園で練習して積み重ねていたものが出ました。親があの試合をスコットランドまで観に来てくれていて、『小さい頃からの成果が出たな』とメッセージをくれました。父親はサッカーをやっていなかったけど、僕の身長があんまり大きくならないやろなと思って『大事なのは基礎技術』と一緒に取り組んでくれていたんです。リフティング、細かいステップの練習を毎日朝から夕方まで。練習の賜物というのは身に染みて持っていると思います」

 大阪府泉佐野市に生まれ、この地に栄えた豪商・食野家の末裔。中学から入団したG大阪のジュニアユースでは、同期が日本代表でも主力を担うMF堂安律(PSV)だった。堂安は一足早く16年にトップチームへ飛び級昇格を果たすなど飛躍を遂げる一方で、食野はコツコツと努力を重ねてきた。19年の開幕当初はJ3に所属するG大阪U-23で過ごし、そこでしっかり結果を残した。3月10日の開幕戦ヴァンラーレ八戸戦(2-2)で幸先良くゴールを決めると、同31日のY.S.C.C.横浜戦(5-0)で、この日Jリーグデビュー戦となったG大阪ユース所属だった弟・壮磨と“アベックゴール”を達成。J3で8戦8発と爆発し、トップへ昇格、夏にはシティ移籍を実演させた。

 それも、兄弟で積み重ねてきた基盤があったから。父は平日でも、野球場のナイター施設の明かりを利用して練習に付き合ってくれた。自身が通っていたサッカースクールから帰った後も、父とともにボールを蹴った。あの頃の記憶が、レンジャーズ戦のシュートの瞬間よみがえった。左足に込めた家族への思い。自身の武器を再確認した。

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