「ユニークな冒険ができた」 元Jリーガーが“日本時代”回想「素晴らしいことだった」

アトレティコ・マドリード時代のFWパウロ・フットレ【写真:Getty Images】
アトレティコ・マドリード時代のFWパウロ・フットレ【写真:Getty Images】

横浜フリューゲルスで1年間プレーしたフットレがインタビューに回答

 元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタを筆頭に、近年のJリーグはネームバリューの高い外国籍選手が加入しているが、黎明期の1990年代にも数多くのスタープレーヤーがプレーしてきた。その1人である元ポルトガル代表FWパウロ・フットレ氏が、スペイン紙「AS」のインタビューで日本の印象について回想している。

 フットレ氏は若くしてスポルティング・リスボンで台頭すると、20歳となった1986年のメキシコ・ワールドカップに出場。翌年のバロンドールでは得票数2位となり、アトレティコ・マドリードの主力として歴史に名を刻む名ウインガーとなった。

 記者からの「アトレティコ史において自分を最高の選手の1人だと思うか?」との質問には「そう思うよ」と答えたうえで、次のように話している。

「リーガで勝てなかったのは事実だ。レアル・マドリードのキンタ・デ・ブイトレ時代(1980年代にリーガ5連覇)、その後はヨハン・クライフ率いるバルセロナの“ドリームチーム”が登場した。ただしサンチャゴ・ベルナベウでレアルを打ち破ったスペイン国王杯決勝は、ポルト時代にUEFAチャンピオンズカップ(当時/現在のUEFAチャンピオンズリーグ)を勝った時と同じくらいの喜びだった」

 そんなフットレ氏は1998年、Jリーグの横浜フリューゲルスに加入した。親会社の経営難によって同クラブはこの年限りで消滅の憂き目にあったが、フットレ氏はデビュー2試合目に初得点を挙げると3試合連続ゴール。その後は負傷によって出番は限られた。しかし当時の監督で、バルサ時代にはクライフの右腕だったカルロス・レシャック氏の教えに触れられたことは意義深かったようだ。

「日本ではユニークな冒険ができたよ。日本に行ったことで初めて、自由な思いができたんだ。横浜フリューゲルス時代には、レシャックの下でクライフのシステムを経験できた。素晴らしいことだったよ」

 このように懐かしむフットレ氏は、同胞でアトレティコ所属のポルトガル代表MFジョアン・フェリックスについても「彼は名手であることを示している。彼がボールを持てば違いが起こる。ファンもそれを知っているだろう」ともエールを送っている。スペインで大活躍した名ウインガーは、かわいい後輩やかつてプレーした日本についてもポジティブな印象を持っているようだ。

(Football ZONE web編集部)


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