“芸術家”ピルロが達した境地 叶わなかったスペイン行きと30代で再び迎えた黄金期

元イタリア代表MFアンドレア・ピルロ【写真:Getty Images】
元イタリア代表MFアンドレア・ピルロ【写真:Getty Images】

【サッカー英雄列伝|No.5】アンドレア・ピルロ(後編)――世界一の栄誉と記憶に残る「2本のPK」

 元イタリア代表MFアンドレア・ピルロは、2005年のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)決勝でリバプールに対し、3-0でリードしたところから3点を奪われ、最終的にPK負けを喫した。この最悪の経験をした1年後、彼は最高の栄誉に輝くことになる。

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 それが、2006年のドイツ・ワールドカップ(W杯)だった。イタリア代表の中心としてプレーしたピルロは、マルチェロ・リッピ監督が指揮するチームとともに順調に勝ち上がっていく。準決勝では延長戦の末に開催国のドイツを下し、決勝の相手はフランス。ジネディーヌ・ジダンにPKを決められて先制を許したイタリアだったが、ピルロの蹴ったコーナーキックはピンポイントでマルコ・マテラッツィの頭を捉え、同点ゴールを導いた。試合は延長戦でも決着がつかず、1-1のままPK戦にもつれ込む。

 先攻のイタリアは、1人目にピルロを送り込んだ。全世界の注目が集まり、まだ誰も蹴っていない両チームの先陣を切る。そのプレッシャーたるや、という瞬間だったが、ピルロはゴールど真ん中の上に蹴り込む。

 後に自伝で「最もピルロ的なシュート」と語ったものは、世界中の度肝を抜いた。結局、イタリアはこのPK戦を制して世界一に輝く。惜しむらくは、延長戦の最中にジダンがマテラッツィに頭突きをして退場処分を受けたことばかりが、大会を象徴するエピソードとして残ってしまったことだろうか。

「ピルロのPK」といえば、2012年欧州選手権でのものも記憶に残るシーンだ。準々決勝のイングランド戦は、0-0でPK戦にもつれ込んだ。先攻のイタリアは2人目のリッカルド・モントリーボが失敗し、1-2のビハインドで3人目へ。ここで登場したのがピルロだった。

 ピルロは助走からボールにコンタクトすると、そのキックの軌道は世界中を驚かせた。イタリア語でスプーンを意味する言葉である「クッキアイオ」と表現されるチップキックのPKは、フワリとゴールに吸い込まれた。イングランドはその後、2人が連続で失敗してイタリアがこのPK戦を4-2と逆転でモノにする。翌日以降の英メディア、イタリアメディアの報道は、ピルロのPKがイタリアの悪い流れを断ち切ったという論調ばかりだった。

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