セレソンから始まった「ロナウジーニョ伝説」 世代別代表で輝き日韓W杯の“3R”で覚醒

ロナウド&リバウドとともに躍動

 ロナウジーニョにとって雪辱を晴らす機会、そして真のワールドクラスへの階段を上るきっかけとなったのは、その2年後、日本と韓国で共催された2002年W杯だった。ここで采配を振るったルイス・フェリペ・スコラーリ監督が、ブラジル伝統のフォーメーションにメスを入れてでも、当時22歳のロナウジーニョをメーンキャストに起用したのだ。

 ブラジルと言えば「ボックス型の4-4-2」が伝統のフォーメーションだった。ただチームは準優勝に終わったフランスW杯後、ルシェンブルゴ、エメルソン・レオン両体制がハマらず、スコラーリに復権を託した。そこでスコラーリ監督が着手したのは、「3-4-1-2」へのシステム変更だった。カフーとロベルト・カルロスという最強の両翼を持っていたブラジルは、彼ら二人にサイドを全権委任する。それと同時に中央の守備を固くし、前線3人の才能でゴールを奪うシステムを構築した。

 この前線トリオに選ばれたのはロナウド、リバウド、そしてロナウジーニョ。通称「3R」だった。

 ロナウドとリバウドはすでに所属クラブでワールドクラスの存在感を放っていたが、ロナウジーニョは前年PSGに加わったばかり。なおかつパリでの夜遊びに浸って不興を買うなど、疑問の声も上がっていた。

 しかしトップ下に入ったロナウジーニョは、トリッキーなプレーで輝きを放つ。グループリーグ中国戦でPKから同大会初ゴールをゲット。難なく決勝トーナメント進出を果たすと、準々決勝イングランド戦でハイライトが訪れる。

 1-1で迎えた後半5分のこと。ゴールからやや右サイド30メートルの位置で直接FKを得たブラジルは、ロナウジーニョがキッカーを務める。視線はヘディングで合わせようとするゴール前のターゲットを見ていたように見えたが、ロナウジーニョはもう一つ奥のターゲットを見ていた。ゴールネットだ。

 

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