小林悠の「一生忘れない出来事」 移籍視野→残留決断…”悲願”もたらし「もうサッカー辞めてもいい」

一番印象に残っている出来事を明かした
キャリアで一番印象に残っている出来事は何か。引退会見でそう問われた小林悠は、少し考え込んでから「本当にありきたりになってしまいますけど」と前置きし、2017年の川崎フロンターレ初優勝を挙げた。
「オニさん(鬼木達・当時監督)、ケンゴさん(中村憲剛)らと喜び合えたことは、本当に嘘じゃなく、一生忘れない出来事だろうなと思います。あの等々力のサポーターの雰囲気、あの日は、もうサッカーを辞めてもいいな、いつ辞めてもいいなと嘘じゃなく思えました。それぐらい本当に嬉しかった出来事です」
そう思えた日から9年。2027年1月1日に、小林は本当にスパイクを脱ぐ。ゴールを奪い、喜び、ときに悔しさを噛み締めながら、背番号11を背負って長く等々力のピッチを駆け抜けてきた。数々のゴールを積み上げ、いくつものタイトルを掲げてきた。それでも本人が真っ先に思い浮かべたのは、あの日の光景だった。小林悠という選手を語るうえで、やはり2017年は外せない。
2017年は“覚悟”から始まったシーズンだった。前年のオフに移籍を本気で考えながら、それでも川崎Fに残る道を選んだ。そして中村から腕章を託され、キャプテンとしてクラブに悲願のタイトルをもたらす役目を背負った。だが、その重さは想像をはるかに超えていた。
「キャプテンになったとき、最初は自分の中に変な自信があって、自分がキャプテンになればタイトルを取れるんじゃないかなと思っていました。だけど、最初はすごく苦労したし、憲剛さんがどれだけのものを背負っていままでやってきたのかをすごく感じましたね」
もともと小林は、何でも自分で引き受けてしまう男だった。「マイナスのことは自分が受ければいいと思っていて、プラスのことは周りの人に受け取ってほしい」。外したら自分のせい、決めたらみんなのおかげ。その実直な責任感が、主将となった彼を悩ませた。チームのためを思い、人知れず頭を抱える日々もあった。
転機はシーズン終盤に訪れた。ルヴァンカップ決勝で敗れ、「ゴールを決めて勝たせられなかった自分が悔しい」と自分を責めた直後の第32節・ガンバ大阪戦。この日も再三のチャンスを決め切れずに無得点に終わった。それでも、試合後の表情は驚くほど晴れやかだった。
「今日に関しては、自分はチームを助けられなかったけど、FWとしてはこういう日もある。チームはみんなで戦っている」
一人ですべてを背負い込む姿は、もうなかった。そこからエースは止まらなかった。第33節・浦和レッズ戦で決勝弾を叩き込むと、最終節の大宮アルディージャ戦では自身初のハットトリックを達成。5-0の大勝を飾り、同時刻キックオフの試合で引き分けた首位・鹿島アントラーズに勝ち点で並び、得失点差で上回って悲願の初優勝をもたらした。ピッチ上でチームメイト、サポーターと喜び合い、涙を流した後、1年分の重圧から解き放たれた男の表情は、充足感に満ちていた。
「これまで悔しい思いをたくさんしてきたけど、本当にサッカー選手になって良かったなと。フロンターレに残って、優勝できて本当に良かったです」
翌年、あらためてあの優勝について尋ねると、小林は「優勝してみんなで喜んだ時の幸せな感じはもう一生忘れないと思います。あれを越えることは死ぬまで絶対にないですね」と言い切った。今回の会見でも、「あの日のことは死ぬまで忘れないと思います」と口にしている。9年が経っても、その思いは少しも色あせていない。
では、あの年の川崎Fにとって主将・小林悠とはどんな存在だったのか。今回の会見で1年を振り返ってもらうと、こんな言葉が返ってきた。
「キャプテンになったとき、1つ絶対に決めていたのは『勝つことに対して、このチームで自分が絶対に一番じゃなきゃいけない』と。そこは譲れなかったです。『俺のほうが絶対勝ちたい』と自分が言いきれる。戦術的なこととか、いろいろ自分には足りないことがたくさんあったと思いますけど、その気持ちは誰にも譲らずにキャプテンとしてやれたのかなと」
美しいサッカーを誇りながら、あと一歩のところでタイトルに届かなかったチーム。そこに足りなかった最後のピースは、戦術ではなかったのだろう。誰よりも勝ちたいという執念と、それをゴールという結果で示せる主将。小林はまさにその体現者だった。
「こういう試合で勝たせてきたのは誰だ」。大一番の前には、いつも自分にそう問いかけてからピッチに入ると語っていた。そこで奮い立つことができないならストライカーではない。その矜持が、主将としての小林を支えていた。
だからこそ、引退の理由にもうなずける。
「自分自身のことを、自分が信じきれなくなってしまった」
気持ちで戦い続けてきた男は、その気持ちが揺らいだとき、自ら身を引くことを選んだ。最後まで小林らしい決断だった。
あの日、等々力で開いた扉の先に、川崎Fの黄金期は続いていった。タイトルはその後も積み重なったが、「初優勝」は一度しかない。そのとき腕章を巻いていたのは、苦しみ抜いた末に誰よりも勝利を渇望したストライカーだった。その事実は、これからもクラブの歴史の原点として語り継がれていく。
そして今、小林は言う。
「残り3か月と思ったとき、ギラギラしたものが出てきています。残り3か月で自分が何を見せられるか。いまはゴールのイメージがあります。最後にそういうところを見せられるように頑張りたいです」
等々力で背番号11の姿を追いかけてきた人なら、きっと信じたくなるはずだ。あの男が、最後にもう一度ネットを揺らす瞬間を。
(FOOTBALL ZONE編集部)(林 遼平 / Ryohei Hayashi)

林 遼平
はやし・りょうへい/1987年、埼玉県生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と、憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。






















