涙の引退会見…小林悠が語る“戦友・家長昭博”との秘話 「一緒に泣いて抱き合ってくれた」【一問一答全文】

川崎の小林悠が引退を発表した【写真:井上学】
川崎の小林悠が引退を発表した【写真:井上学】

39歳の誕生日に会見で心境を告白

 川崎フロンターレの元日本代表FW小林悠が9月23日、2027年1月1日をもって現役を引退すると発表した。自身の39歳の誕生日に決断を明かした川崎一筋17年のエース。これまでJ1得点王やリーグMVPに輝き、クラブに7つのタイトルをもたらしてきたなかで、「自分自身のことを信じ切れなくなってしまった」と引退の理由も明かした。「妻やサポーターのためにも残り3か月、自分がピッチで躍動する姿を見せたい」などと、残りのシーズンに向けた強い覚悟を語った。

◇ ◇ ◇

 ――現在の率直な気持ちは

小林「プロサッカー選手をやっている以上、いつか誰しもが来る日が来たなという思いです。自分の中では決めていたことなので、こうしてたくさんの人の前で話せることでホッとしているというか、そういう気持ちです」

 ――引退という大きな決断を下した最大の要因は何か

小林「一番の決め手になったことは、自分自身のことを自分が信じ切れなくなってしまったことです。やっぱり気持ちでプレーしている部分が多かったので、それができないのなら選手を退くべきだなという思いで決断しました」

――最終的に引退を決断したのはいつ頃か

小林「プロでFWとして活躍するようになってから、「シーズン通して1点も取れなかったらFWとして辞めるべきだな」とずっと思っていました。去年の百年構想リーグの前のシーズン、アウェーのガンバ戦の前に年齢のこともあり引退がよぎっていて、妻に「今日決めれなかったら引退するかもしれない」とLINEをしていました。その試合で決めることができたのでそのシーズンは辞めなかったんですが、その後の百年構想リーグで「ここで決めなかったら引退しよう」と思っている中で怪我をしてピッチに立てなくなりました。

 強化部や社長と話をして「最後、応援してくれたサポーターのためにピッチに立つべきなんじゃないか」と言っていただき、もう1年間体と心と向き合ったんですが、「ちょっと頑張れないな」という自分がいたので、特別な形で12月いっぱいで引退という形になりました」

――自身の誕生日である今日、発表することに決めた経緯は

小林「強化部の方と相談して、長く応援してくれていたサポーターの方たちになるべく早い時期に知ってもらい、引退まで一緒に戦ってもらう方がいいんじゃないかということ。そして、39歳という切りがいいというか、いい日だったので今日にしました」

――会場に入るまでに飾られていた写真を見て、どんな思いになったか

小林「本当に知らなかったので、階段を登ってくる中で悔しかった試合やタイトルを取った試合などいろんなことが思い出されて、懐かしい写真がたくさんあって嬉しく思いました。ただ、最後の家族の写真だけはちょっと反則だなって。会見前に見るもんじゃなかったなと思って涙を流してしまったんですけど、ありがたかったです」

――決断に至るまで、どなたかに相談したのか

小林「妻や(中村)憲剛さん、幼馴染の友達ですね。百年構想リーグで引退しようか迷っていた時に鬼(木)さんにも電話したんですけど出なくて(笑)。たぶん自分が迷っているなと思ったから出なかったんだと思います。最近になって「あの時引退するって電話だった」と話したんですけど。基本的には自分が自分自身で決めたことが多いかなと思います」

――中村憲剛さんからはどんな言葉をかけられたか
小林「憲剛さんも『百年構想リーグで辞めるのは違うんじゃないか』と言ってくれて。『もし1年頑張れないなら、半年でもいいから力になってくれるんじゃないか』と言ってくれたので、その助言はすごくありがたかったです」

――チームメイトにはどのように伝えたのか

小林「先週のオフ明け、鹿島戦が始まる週の頭に選手・スタッフ全員の前で挨拶させてもらいました。その前にリョウタ(大島僚太)、アキ君(家長昭博)、マル(丸山祐市)には個別に話しました」

――個別で話した3人の反応で印象に残っている言葉は

小林「リョウタは『そうっすか』っていう感じで聞いてくれました。アキ君は、みんなの前で話した後に一緒に泣いて抱き合ってくれて。本当にアキ君のおかげでここまでやってこれた数少ない仲間でもあったので、僕にしかわかんないこともあるだろうし、一緒に泣いてくれたことが嬉しかったです。

 マルは仲良くなりすぎていつもふざけた話(しりとりなど)ばっかりしちゃうんでなかなか話せなかったんですが、実はアキ君が間違えて僕より先にマルに漏らしちゃって。それを聞いて僕がマルに電話しました。ノボリ(登里)とかショウゴ(谷口彰悟)がいなくなって、マルがいてくれて本当に助かったという話をして。マルは『まだ僕はユウ君の引退受け入れてないですけど』とか言ってましたけど(笑)、あの3人の存在は自分にとって大きかったです」

――支えてくれたサポーターに対する思いは

小林「苦しいことが多くて、試合に出れない日や怪我が多くて絡めない日でも、11番のユニフォームを着て応援してくれている人の姿を見ると、何回でも『もう一回頑張るぞ』と思えました。最後の方は自分が自分を信じられなかったんですけど、それでも自分を信じてくれるサポーターがいたからここまでやってこれたので感謝しかないです。サポーターの皆さんと家族のために、最後の3か月、どんな形でもいいのでゴールする姿を絶対に見せたいなと思っています。感謝の気持ちを返したいです」

――「11番」という背番号に対する思いを教えてください。

小林「僕がつける前は外国人選手がつけることが多かったと思うんですが、2年目に当時の強化部長だった庄子さんから『11番つけてみないか』と言っていただいて。自分にプレッシャーをかける意味でもつけたいなと思いました。そこからこんなに長くつけさせてもらって、本当に身のある番号になったなと思いますし、『11番といえば小林悠だ』と皆が思えるようにできたのはすごく嬉しいです」

――残り3か月、サポーターにどのような「11番」の姿を見せたいか

小林「チームでの競争もありますし簡単なことじゃないと思っていますが、自分が信じられなくても僕を信じてくれているサポーター、11番を着て等々力に来てくれているサポーターの皆さんに、一度ゴールする姿だったり、戦う姿、自分らしくギラギラした気持ちを見せられるようにしっかり準備してやっていきたいです」

――優勝を知る選手として、後輩たちにどのようなメンタリティを継承してほしいか

小林「タイトルを取った時の空気や厳しさを知っている選手が教えていかなきゃいけないと思います。チームは少しずつ良くなっていて、戦ってくれるチームになっていくんじゃないかと感じています。タイトルを取る喜びを今の若い選手たちにも感じてほしいですし、「そのシーズンにフロンターレにいたんだよ」と引退してから語れるような選手になってほしい。残り3ヶ月でたくさんのことを伝えられたらいいなと思います」

――これまで数多く決めてきた中で、特に思い出に残っているゴールは?

小林「初優勝の時の3ゴールや、ルヴァンカップ初タイトルの時のゴールなど数えきれないほどあるんですけど。思い出すとキリがないですが、プロ初得点を取った時のアキ君のアシスト、憲剛さんが引退する前の最後のパス、自分が一番苦しかった時の京都戦でリョウタがアシストしてくれたゴールですね。僕が自分で取ったゴールはほとんどなくて、たくさんのパスや仲間たちに助けられたゴールなので、本当にどれも大切な宝物です」

――「自分を信じられなくなった」ことの直接的な原因は何か

小林「ここ数年、筋肉系の怪我が本当に増えていて。試合に出れている時や点が取れている時なら、怪我をしてもリハビリ中に復帰してゴールを決めるイメージが湧きやすいんです。でも、年齢を重ねて出場機会も減り、体が思うように動かなくなる中で怪我とリハビリを繰り返していると、復帰した時に自分がゴールを決めているという確固たる自信みたいなものが少しずつ消えていってしまって。それが引退が近づいてきたと感じる原因でした。

 ただ逆に、引退を発表して「残り3か月」と思った時に、今こうギラギラした自分がいるんじゃないかなと楽しみでもあります。2、3日前に全体合流したんですけど、今はもうゴールをするイメージが自分の中にありますし、しっかりそういうところを見せられるように戦いたいです」

――他クラブへの移籍という選択肢もあった中で、フロンターレでの引退にこだわった理由は?

小林「他のチームに移籍して引退試合やセレモニーをやった時に、長くフロンターレで僕を応援してくれたサポーターの前で引退できないのは辛いなとすごく思ってしまって。いろんな人の引退セレモニーを見る中で、僕はやっぱり11番のフロンターレのユニフォームを着て、今までずっと戦ってきてくれたサポーターの前でそれをしたいと思ったので、最後はこのクラブで、と思いました」

――引退後のビジョン、今後のサッカー界との関わり方はどう描いているか

小林「僕自身、体格に恵まれたわけでもスピードがあるわけでもないですけど、こうしてたくさん得点を取れたことには自分なりの考えがあって。それを指導者として、僕にしか分からないストライカーとしての指導を考えています。今のままフロンターレに残れるなら、一番自分の中ではベストかなと思っています」

――フロンターレでの17年間を振り返って、今思うことは?

小林「幸せだったなと。怪我があったり悔しい思いもたくさんしましたけど、それを含めて幸せでしかなかったです。先週、安藤(駿介)に『自分で辞めるタイミングを決めれるっていうのは本当に幸せなことですよ』と言っていただいて、本当にそうだなと。たくさんの人が続けたくても続けられない中で、自分でここで辞めると決断できたことを嬉しく思います。チームの協力あってのことなので、それを含めて本当に幸せな17年間でした」

――小林選手にとってフロンターレはどんなクラブだったか。そして今後どんなクラブであってほしいか

小林「本当に温かい存在だと感じています。選手もスタッフもサポーターも本当に温かい人が多くて、クラブの活動も含めて本当に大好きなチームです。『タイトルだけが足りない』と言われ続けてきた中で、それに自分が携わることができて素晴らしいクラブになったなと思います。これからも変わらずにフロンターレらしさをなくさないでほしいですし、サポーターに愛され、いろんな人を笑顔にできるチームであってほしい。あとは、アジアでタイトルを取ってもらえたら最高だなと思います」

――良い時期も苦しい時期もあった中で、一番印象に残っている出来事は?

小林「ありきたりになってしまいますけど、初タイトルを取った時の記憶は本当に今でも覚えています。鬼木さんや憲剛さんと喜び合えたことは一生忘れない出来事だろうなと。等々力のサポーターの雰囲気とか、あの日は本当に「もうサッカー辞めてもいいな、ピッチで死んでもいいな」と嘘じゃなく思えたくらい嬉しかったです。辛かったこと全てが報われたというか、このためにやってきたという思いがあったので、一生忘れないと思います」

――キャプテンとして初タイトルに貢献した1年を、改めてどう振り返るか

小林「自分がキャプテンだからとはあまり思いませんが、キャプテンになった時に「絶対このチームで自分が一番勝つことに対して貪欲でなきゃいけない」と決めていて、そこは譲れませんでした。サッカー選手なら誰だって勝ちたいと思っているでしょうけど、『いや、俺が絶対一番勝ちたい」と言い切れる、そういうキャプテン像を作ってやっていきました。戦術的なことなど足りない部分はたくさんあったと思いますが、気持ちの部分では誰にも譲らないというところはキャプテンとしてやれたのかなと。それが結果に繋がったので、あの時の行動は間違っていなかったのかなと思います」

――大きな存在である中村憲剛さんへの思いや、ご自身の引退と重なる部分はあるか。

小林「現役中も引退してからもいつも話し相手になってくれて、悩み事があった時も一番自分のことを理解してくれている人だと思ったので、引退になる時にまず誰に話そうと思った時に憲剛さんが浮かびました。

 自分が引退するとなって思うのは、やっぱりあの人は凄かったなと。憲剛さんが辞めた時はみんな『まだ出来るじゃん』って思ったと思うんですけど、僕は本当に体もボロボロでやりきって辞めるので。憲剛さんみたいに一個上で40歳まであんなにやっていて、改めてすごい人だなと思いました」

――サポーターからの「まだ出来る」という声に対してはどう感じているか

小林「本当にありがたいです。でもやっぱり日々練習をやっていく中で自分自身が一番わかっているので。だからこそ自分が引退発表をして『残り3か月』と思った時に、ワクワクした自分、今ならやれるという気持ちになれた自分がいるので、その自分の気持ちに嘘はないですし、本当にやり切ったと思います」

――同級生であり長年のライバルでもある太田宏介さんにはどう伝えましたか。

小林「電話で伝えました。『お疲れ様、ここまでよくやったよ』と言ってくれて。小学生からずっと知っている宏介がここまでやってきたこと、立派だったとリスペクトしていますし、自分にとって同い年で昔からのライバルという存在はすごく大きかったなと思います。

――「フロンターレの選手になりたい」と言っていたお子さんや、ご家族の反応はどうだったか。

小林「35、6歳くらいから『いつかは来るんだよ』と話していたんですが、『嫌だ、まだやれるでしょ』と言われていて。『おじいちゃんになってもできないでしょ』と説明していく中で、息子たちは理解してくれました。

 ただ、妻の方が大変で。僕は『お疲れ様、よく頑張ったね』と言ってもらえると思ったんですけど、泣いて泣いて『まだ引退してほしくない』と。朝練習に行く前も泣いてて、帰ってきたらまた泣いてるというのが1週間くらい続きました。自分の妻ながらすごい自分に期待してくれているというか、その思いがすごく嬉しかったです。だからこそ妻のためにも残り3か月、本当に自分がピッチで躍動する姿を見せたいと思えたので、すごくありがたいなと思っています」

――アウェーサポーターからのブーイングや反応について、どう感じていたか。

小林「札幌サポーターとかは、自分が到着しないようにSNSで面白い仕掛けを作ってくれたりして、愛があるなというか。それだけ相手チームに嫌がられる選手になれたというのは自分自身嬉しく思いますし、どのスタジアムに行っても僕はそういう雰囲気が好きなので余計燃えるというか。選手にとっては本当にありがたかったなと思っています」

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