“愛する”J1クラブ→J2へ覚悟の移籍 エースナンバー背負うも苦境…求めた「選手としての価値」

清水から横浜FCへ移籍した千葉寛汰【写真:西村尚己/アフロスポーツ】
清水から横浜FCへ移籍した千葉寛汰【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

横浜FCへ加入した千葉寛汰

 J1の清水エスパルスからJ2の横浜FCへ、夏の移籍期間が閉まる直前の15日に完全移籍で加入した千葉寛汰が、ホームのニッパツ三ツ沢球技場でFC今治に勝利した19日のJ2リーグ第7節で即先発した。静岡市清水区で生まれ育ち、物心がついたときから清水というクラブを愛し、下部組織をへてプロサッカー選手になる夢をかなえた23歳のアタッカーが、清水と袂を分かつ完全移籍の決断を下した胸中を追った。(取材・文=藤江直人)

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 感慨にふける時間は、まったくといっていいほどなかった。対戦相手が思い出深い古巣ならば、そのベンチには高校年代に指導を受けた恩師がいる。それでもと、横浜FCの千葉寛汰はこんな言葉を残している。

「縁はすごく感じましたけど、なかなかそこに目を向ける余裕はなかった。自分に集中していたので」

 J1の清水エスパルスから、J2の横浜FCへの完全移籍が発表されてからわずか4日後。ホームのニッパツ三ツ沢球技場にFC今治を迎えた19日のJ2リーグ第7節で、千葉は1トップでいきなり先発を果たした。

「(先発を)言われた、というのは特にないんですけど、前日練習である程度はわかるので。こんなチャンスはないと思いましたし、本当にありがたかったし、チームに貢献したいという気持ちでいっぱいした」

 キックオフ前の心境をこう振り返った千葉のなかで、今治は特別なチームとして位置づけられている。

 清水ユースからトップチームへ昇格した2022シーズン途中、そして翌2023シーズン途中と2度にわたって育成型期限付き移籍。J3リーグで38試合に出場し、プロ初ゴールを含めて19得点をマークした。

 そして横浜FC戦ではスペイン出身のアベル・モウレロ監督が体調不良で休養し、久保山由清ヘッドコーチが監督代行を務めていた。現役時代にFWとして清水で長くプレーした久保山氏は、引退後は清水で指導者の道を歩み始めた。そして清水ユースでコーチを務めた2020シーズン以降の2年間でエースを担った千葉は、2021シーズンの高円宮杯JFA U-18プレミアリーグEASTでは、18ゴールをあげて堂々の得点王を獲得している。

 しかし、晴れてプロになった千葉はJ1の壁を前にしてもがき、苦しんできた。J3の今治だけでなくJ2の徳島ヴォルティスと藤枝MYFCへも育成型期限付き移籍で加入して、必死に武者修行を積み重ねてきた。

 清水で生まれ育ち、気がつけば清水を愛していた千葉はチームを離れた時期をこう振り返っていた。

「試合経験を積むなかで守備のところやポストプレー、チャンスメークと幅が広がったと思っています」

 怪我人が続出した清水の要請を受けて藤枝との契約を解除して、6月に清水へ復帰した昨シーズン。待望のJ1リーグ初ゴールを決めた6月21日の名古屋グランパス戦後には、万感の思いを込めてこう語っていた。

「エスパルスでゴールを決めるために、これまで育成型期限付き移籍を繰り返してきました。自分としてはすごく大きな一歩だと思っているけど、同時にいまは『ここからだ』という気持ちでいます」

 清水というチームを「僕にとってのすべて」と公言してはばからなかったアタッカーが、一転して期限付き移籍ではなく完全移籍で新天地を求めた。ある意味で退路を断った覚悟を聞くとこんな言葉が返ってきた。

「サッカー選手として、もっと自分の価値を上げていかないといけない、もっともっと成長していかないといけない、そして結果を出していかないといけない。そういった気持ちで決断しました」

 今シーズンの清水では、ともに途中出場で2試合、プレータイムの合計はわずか4分間だった。

「それも(理由の)ひとつにありました。出場機会があまりなかったし、難しい状況ではあったので」

 ヴィッセル神戸で2023シーズンからリーグ戦を連覇。2024シーズンには天皇杯制覇の二冠も達成した吉田孝行監督が就任した百年構想リーグから、千葉はインサイドハーフとして新境地に挑んできた。

 育成型期限付き移籍時代に広げたプレーの幅を清水へ還元する絶好の機会。しかし、序盤戦こそ先発を続けた千葉だったが、肝心のゴールを決められない。怪我も追い打ちをかける形で出場機会が減っていった。

 清水と袂を分かち合う完全移籍を決めた直後。清水に関わるすべての人々へ千葉は別れを告げている。

「いろいろな先輩方にお世話になりましたし、スタッフを含めて本当にお世話になったクラブなので」

 そのなかの一人、ピッチの内外で可愛がってくれた北川航也に対してだけはちょっと逡巡したという。

「(北川)航也くんには期待をかけてもらっていた分、なかなかこの決断を話すのは難しかったんですけど、そのなかで『頑張ってこいよ』と応援してもらえました。成長した姿を見せられるようにやっていきたい」

 北川は百年構想リーグから引退したかつての盟友ドウグラスへの敬意を込めて、背番号を「23」からドウグラスが愛した「49」へ変更。そして清水のエースナンバー「23」の次なる持ち主となったのが千葉だった。

 北川の前には鈴木唯人(現フライブルク)、そして日本代表として3大会連続でワールドカップに出場し、日本代表で歴代3位となる50ゴールをあげた岡崎慎司さんらが紡いできた系譜に千葉も名を連ねた。

 その岡崎さんこそが、プロサッカー選手に抱いていた憧れを、具体的な目標へと変えてくれた存在だった。IAIスタジアム日本平へ応援に駆けつけていた小学生時代。千葉も「ずっと見ていました」と語っている。

 横浜FCへの完全移籍とともに、9カ月あまりで「23」に別れを告げた。新天地では「30」を背負う千葉は、北川や鈴木、そして岡崎さんから一時的にせよ引き継いだ誇りを胸に秘めてゴールを狙い続ける。

 今治を2-1で振り切り、首位のアルビレックス新潟に勝ち点2ポイント差の4位に浮上した試合後。前半にシュートを2本放つもゴールネットを揺らせず、後半29分にベンチへ退いた千葉は初陣をこう振り返った。

「守備では貢献できたと思うけど、攻撃ではなかなか自分の特徴を出せなかった。3日しか練習ができていないなかで難しいところがあったので、もっともっと連係やチームメイトとの関係性というものを高めていきたい」

 モウレロ監督の解任に伴い、久保山氏が監督に昇格した今治と敵地で再戦する来年4月の第32節をへて同5月まで続く今シーズン。その先に見すえる横浜FCのJ1復帰へ、藤枝時代に指導を受けた須藤大輔監督のもとで、千葉はチームに勝利をもたらし、自らの人生をも切り開くゴールを貪欲に追い求めていく。

(藤江直人 / Naoto Fujie)



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藤江直人

ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。

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