現役引退→農家に転身「小学校ならまだ5年生」 レストランで出会った運命の味「絶やしてはいけない」

かつて浦和などでプレーした高崎寛之氏【写真:河野 正】
かつて浦和などでプレーした高崎寛之氏【写真:河野 正】

栽培、販路拡大、料理店を開業…枠にとらわれない挑戦

 2021年にプロサッカー選手を引退した高崎寛之氏はその後、農家としてセカンドキャリアの道を歩み始め、経営者として才覚を発揮する傍ら、新規の事業開拓にも精力的に取り組んでいる。「指導者かスカウトがいいなって漠然と考えていた」。なぜ農家になることになったのか。そして、これまでの足跡を辿る。(取材・文=河野正/全5回の最終回)

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 2021年をもってヴァンフォーレ甲府との短期契約が満了。Jリーグ合同トライアウト(加入テスト)に挑戦して新たな職場を探したが、希望するクラブからのオファーはなく、14年冠した「プロサッカー選手」という肩書が取れた。

「セカンドキャリアについては、指導者かスカウトがいいなって漠然と考えていたのですが、正式な依頼はありませんでした。次の仕事も決まらず、引退した翌日からやることがまったくなくなりました」

 高崎は松本山雅に在籍中の2018年、松本市内に一戸建てを構えて引退後も居住。進む道を思案していた。そんな折、なじみのイタリアンレストランを訪れたことが農家に転身する発端となったのだから、人の運命とは思いもよらぬことが間々起きるものだ。

 初めて白ひらたけ(平茸)というキノコを口にしたら、あまりのおいしさに腰を抜かした。フランス料理に欠かせないひらたけは、肉厚で柔らかくてコクのある食感が特徴で、プルロットとも呼ばれる。

 その生産者が体調を崩して事業を継続できなくなると聞いた高崎は、店主に頼んで引き合わせてもらい、翌日には長野県東筑摩郡山形村にある工場に出向いた。「農業に深い関心があったわけではないのですが、あのうまさを絶やしてはいけないという思いから、その場で工場を継がせていただく約束を取り付けました」と振り返る。

 2022年4月、信州Farm Landという屋号で事業をスタートさせた。

 早速2週間かけて工場内を清掃し、栽培に足りない機械などは廃業するきのこ農家から廉価で譲り受けた。片道1時間半、松本市から中野市を4トン車で4往復して備品をそろえ、知人に工場内をメンテナンスしてもらった。菌の仕込みから温度と湿度管理、発生や収穫まで白ひらたけに関するノウハウを2か月みっちり教え込まれた。

「栽培の難しさよりも販路がなかったことに苦労しましたね。袋詰めにして飲食店を回って売り歩くことから始め、ホテルやスーパー、道の駅など販路はすべて自分で開拓しました。僕は松本に来た時から飲食店の人たちと仲が良かったので、たくさんのお店が協力してくれたんです」

 日本で白ひらたけを通年栽培しているのは高崎の工場だけで、現在は県内外に卸すまでに成長した。

 1年目はこのほかミニトマト、トウモロコシ、ネギ、スイカ、長芋の生産にも挑戦。だがミニトマトとトウモロコシは毎日なるので収穫が追い付かず、1年で打ち切った。

 白ひらたけと並行して力を入れたのが、山形村の特産物でもあるスイカと長芋だ。栽培の手ほどきを受けた師匠から、サッカー場5面分に当たる約3万5000平方メートルの畑を借り上げ、夏はスイカ、秋から冬は長芋の栽培に精魂を込める。

 高崎は「ここではこの2つが名産品なので、夏場は甘くてみずみずしいスイカを、寒くなってきたら粘り気と上品な甘みの長芋を消費者の方々に提供したい一心で頑張ってきました」と農業従事者としての自負心を示す。

経営者としても才覚を発揮

 松本山雅がJ2を制した2018年にはコンテナを改造し、愛犬を連れて入店できるカフェを松本市内にオープン。ドッグランも併設した。「地域の人々と交流することで、チームをもっと身近に感じてほしかった」というのが開店した理由だ。店長が結婚を機に海外に転居するため、2023年5月に閉店した。

 農業に携わって今年で5年目に入ったが、難しいこととは? 「毎年同じ品質のものを収穫できないことですね。気候や害虫、病気や草退治の問題があり、除草剤を3回まいてもまた生えてくるんですよ。この広さですから骨が折れます」と笑った。

 しかし14年間、苦労の連続だった元プロフットボーラーだけに少々のことではへこたれない。むしろ「もっと練習しておけばよかった」と悔やんだ選手時代より努力を重ねている印象だ。

 師匠にきっちり仕込まれたことで、1年目から甘い果肉のスイカを栽培することに成功したが、よりよい味を追求するための研究を怠ったことはない。

「5年目といっても小学校ならまだ5年生ですよ。本物のプロには達していない。うちよりおいしいスイカをつくっている農家はあるし、やるべきことと学ぶべきこと、改善の余地はいくらでも残っています。どんな肥料を使えばいいのか、違った栽培工程もあるんじゃないか、とかもっと勉強しないといけません」

 畑の一部を利用して実験も試みているが、昨年は肥料の配分に失敗し、半額で販売したそうだ。

 高崎が手掛けるのは農業にとどまらない。山形村の百貨店「アイシティ21」に入る婦人服AVENUEの女性社長が、年齢を理由に代表から退く意向だと聞くと、2年前から事業を引き継いだ。昨年度の売り上げが全国で約300店ある中でトップとなり、最優秀店舗として表彰された。女性社長は高崎の会社に就職した。

 10月にはJR松本駅前に徳島県の特産地鶏、阿波尾鶏をメインにした郷土料理店を開業する予定だ。

 サッカーでは今季から、長野県リーグのアンテロープ塩尻のコーチに就任。週3日、午後9時からの練習を無償で手伝っている。引退後に4年間プレーしたチームでもある。2023年からは東京都市大学塩尻高校サッカー部の攻撃専任コーチとして、ボールの受け方やシュートの打ち方などを指導。Jリーグや高校選手権予選などのテレビ解説もこなす。

 夢を尋ねると「あまり聞かれたことがないのですが」と苦笑した後、「会社の基盤である農業は継続しますが、いずれは今の社員を農業部門のトップにして、僕は会社を大きくするために新たなことにチャレンジしたい。サッカーしかやってこなかったので、未知の世界に足を踏み入れるのは楽しいものですね」と生き生きした顔つきでこう言った。

 2024年7月1日、株式会社TGRを設立。「The Great Revival」の頭文字を取って命名した。大いなる復活といった意味だろう。

 大学時代から「臥薪嘗胆」を座右の銘にしてきた。プロでは不完全燃焼に終わったが、第二の人生では耐えて忍んで復活するぞ、「今に見ていろ」という決意が込められていると受け取った。(文中敬称略)

(河野 正 / Tadashi Kawano)



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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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