黒田監督にぶつけた不満「代えるの早いです」 1年ぶり復帰も…10年ぶり再会の”熱い師弟愛”

368日ぶりに公式戦復帰を果たした町田DF菊池ダビド流帆
右膝に全治1年の大怪我を負い、長期戦線離脱を余儀なくされてきたFC町田ゼルビアのDF菊池ダビド流帆が、8月26日のいわてグルージャ盛岡との天皇杯2回戦で公式戦復帰を果たした。3バックの中央で先発出場するも、後半16分の交代時には「代えるのが早いですよ」とちょっぴり不満気味だった菊池と、青森山田高校時代の恩師で、町田で10年ぶりに再会した黒田剛監督との間に見え隠れする熱い師弟愛を追った。(取材・文=藤江直人)
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ベンチ前のテクニカルエリア付近で、予想通りのやり取りが繰り広げられていた。
1点をリードしたまま迎えた後半16分。前回大会王者のFC町田ゼルビアが最初の交代カードを3枚同時に切った。ピッチを後にした3人の一人、センターバック(CB)の菊池ダビド流帆は、ねぎらいの声をかけようと出迎えていた黒田剛監督と目を合わせるやいなや、こんな言葉を投げかけたと明かした。
「代えるのが早いですよ、と言ったんですけど」
ちょっぴり不満を募らせたのには理由があった。ホームの町田GIONスタジアムにJFLのいわてグルージャ盛岡を迎えた、26日の天皇杯 JFA 第106回全日本サッカー選手権大会2回戦は、菊池にとって昨年8月23日の横浜F・マリノスとのJ1リーグ第27節以来、368日ぶりに公式戦への復帰を果たした舞台だったからだ。
昨年9月になって菊池が右膝骨軟骨損傷で手術を受け、全治まで12カ月程度の見込みだと町田から発表された。ヴィッセル神戸に所属していた2022年に受傷した、右膝後十字靱帯損傷も同時に手術する重傷だった。
一日千秋の思いで戦列復帰を目指してきたからこそ、盛岡戦にかける思いは強かった。
「90分間いく気持ちはありましたけど、意外と早く代えられたのでちょっとがっかりしました」
岡村大八との交代でピッチを後にした心境をこう振り返る菊池によれば、黒田監督はこう返したという。
「怪我をしてからじゃ遅いだろう、みたいに言われました」
実は指揮官も心のなかで逡巡していた。当初は後半の飲水タイムでの交代を考えていたという。
「ただ1対0という僅差でもあったし、そこで必要以上に踏ん張りすぎるとか、体に無理をかけてまた怪我をされても困ると考慮しました。もちろん、あいつは『まだできました』と言ってきましたけど」
最終的には3-0の快勝でジャイアントキリングを狙う盛岡を退け、大会連覇へ向けて発進した直後の公式会見。黒田監督は苦笑いを浮かべながらも、菊池に関していまも抱いているトラウマを明かした。
「あいつはいつも『もう少しいけた、もう少しいけた』と言うんですけど、その後に痛めるんですよ。昨年も『あと5分くらいはいけた』と言いながらその後に手術を受けているので。そういった身体や怪我の状況と、思考やモチベーションの部分というのはかなり差があるものなので、できるだけ早く代えよう、と」
黒田監督が後悔しているのはマリノス戦ではない。神戸に2-0で快勝した8月10日の第25節。後半アディショナルタイム3分にドレシェビッチと交代した菊池は、全治1年の大怪我が発表された直後に自身のインスタグラムを更新。いまも感謝の思いを抱く古巣・神戸との初対戦で右膝を痛めていたと明かしている。
「先月の試合は自分にとって本当に幸せな瞬間でした。本当に楽しかったですし、尊敬するみんなと同じピッチに立てて真剣勝負ができて心の底から嬉しかった。実はあの試合で僕の膝は限界を迎えてしまいました。(中略)応援してくれる方々に何度も言うんですが最強になって帰るという約束は必ず果たします。負けないっす。余裕っす。天才っす。(中略)何度でも這い上がるし、何度でも強くなりますから」
しかし、過酷なリハビリには予期せぬ事態も相次いだ。盛岡戦後に菊池はこう語っている。
「いやぁ、本当にめちゃ長かったですね。復帰できそう、というときまた怪我をして。マジでどん底の下にまだどん底があるのかと、本当に何回も食らいましたけど。帰ってこられて本当によかったです」
全体練習へ復帰したのは盛岡戦の2週間前。実戦を積んだのは1週間前の15分だけだったと続ける。
「大学生と試合をしたときにスピードでぶっちぎられて、イエローカードをもらって、ビルドアップでもミスをしまくって。そういうのがイメージとして残っていたので、ちょっと怖かったですけど。でも監督から『お前、いけるだろう』と。いけますというか、いくしかないし、いつかは(試合に)出ないといけないので」
復帰までの経緯を振り返る菊池から悲壮感は漂ってこない。明るく、ポジティブに、ユーモアもまじえてメディアの笑いを誘う。今シーズンから登録名を<菊池ダビド流帆>に変えた理由も笑わせてくれた。
「もともと僕はダビドなので。ユニフォームの背中(のネーム)をダビドにしたくて。チームにお願いしたんですけど、登録名を変えないと無理だと言われたので、じゃあ変えるか、と」
大阪体育大学時代に元ブラジル代表DFダビド・ルイスのプレースタイルに憧れ、髪型も真似てきた菊池は、盛岡戦から背中のネームを<DAVID.R>に変えている。<R>はもちろん「流帆」の頭文字を意味する。
もちろん素顔はサッカーに一途で、どれだけ逆境に陥ろうと歯を食いしばってきた。たとえば岩手県釜石市で生まれ育った菊池は青森山田高校のサッカーに憧れ、中高一貫であるにもかかわらずに高校から特待生での入学を志願。セレクションで落ちながら一般入試で合格し、サッカー部で最も下のDチームからはい上がった。
入学時のサイドハーフ。しかし下手くそだと認め、唯一、通用していたヘディングの強さを生かすためにCBへ転向。最上級生になってレギュラーを獲得した経緯は、当時の青森山田高校を率いていた黒田監督が誰よりもよく知っている。卒業後に自身の母校、大阪体育大学へキャリアにも共感を抱くものがあるのだろう。
大学卒業後に加入したJ2のレノファ山口から神戸をへて、再び監督と選手の関係になった菊池は今年12月に30歳になる。期待はしているが、無理だけはしてほしくない。黒田監督はこんな言葉を残している。
「ゲームにフィットするにはもう少し時間がかかると思いますけど、あのキャラクターとモチベーションはチームにすごくいい影響を与えてくれる。すごく頼もしい存在ですし、本当に怪我なく活躍してほしい」
交代直後こそ不満気味だった菊池も、時間の経過とともにこんな本音を明かしている。
「正直、めちゃくちゃきつかったです。やはり試合から1年間も離れていると、全然違うと思っていました。終わってみて、実はちょっとホッとしています。ここからがスタートラインですね」
リーグ戦で怒濤の開幕3連勝で首位に立つ町田からは、最終ラインの一角を支えてきた中山雄太が海外への再挑戦に備えて離脱した。入れ替わるように戻ってきた身長188cm・体重89kgの巨躯を誇る最強のエアバトラーは、恩師でもある黒田監督の思いをパワーに変えながら完全復活を目指していく。
(藤江直人 / Naoto Fujie)

藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。



















